「カステラ」和菓子への変遷
日本のカステラは、16世紀、室町時代末期にポルトガルの宣教師たちが伝えた焼き菓子「パン・デ・ロー」(スペインではビスコチョと呼ぶ)がルーツと言われている。当時、布教活動をしていた彼らが、町民や村人を教会に誘ったり病人を見舞ったりしたときに、卵と、高級な砂糖を使った菓子を作って振る舞ったことや、ポルトガルへ派遣された留学生たちが、現地で作り方を覚え、帰国後に広めた。なお、「カステラ」と言う名前の語源はスペインのカスティーリャ(castilla)とも、メレンゲを作るときに「お城(castelo)のように高くなれ!」と言いながら、高く泡を盛り上げたことから、カステロ→カステラとなったとも言われている。
日本にカステラが伝来した室町時代には、ベーキングパウダーもオーブンもなかった。そこで日本人は、生地に卵を均等に混ぜ合わせることでふっくらした焼き上がりを目指し、努力を傾注した。卵の力だけで膨らませるために、焼いている途中で、カステラ生地を細い竹串で何度もさすり生地を均等に保つ。このとき、気泡が入らぬよう細心の注意で見張る。この作業を「泡切り」と呼ぶのだが、こんなに手間ひまかけて焼く菓子は、海外ではまずお目にかからない。オーブンもその構造を研究して、炭火がおこせる火鉢状の窯をわざわざ作り、ふたの部分にも炭火を入れて上下、全体から火が回るように工夫を凝らした。
長崎の老舗「福砂屋」(1624年創業)では、職人が手作業で卵白を極限まで泡立て、黄身、ざらめ糖を加えて攪拌(かくはん)。その後、上白糖、水あめ、小麦粉を加えながら入念に混ぜて生地をつくる。攪拌を繰り返すうちに、ざらめ糖の角が取れていく。カステラをかみしめると、水あめが生むしっとりした甘さと、底の方にたまったざらめ糖の歯触りを同時に感じるが、攪拌されたざらめ糖が生地の下の方にたまったまま焼き上がるからだ。「福砂屋」では、一人の職人が生地作りから泡切り、焼き上げまで全ての工程を任されている。こうした製造方法も和菓子化している証拠といえるだろう。
