『朝鮮王朝実録』にもヒントが

15世紀に作成された済州島民の漂流記というものもある。朝鮮王朝実録(李朝実録)に含まれており、それによると1477年、朝鮮半島南部の済州島を出発した船が漂流し、乗組員3人は2隻の船に助けられた後、半年近くの間、「閏以是麼」という場所に留め置かれることになった。「閏以是麼」は現在の与那国島を指す。

与那国島。1477年に済州島の人たちが漂着し、朝鮮王朝実録に収録された聞き取りの内容から当時の暮らしの様子が分かる。中央に突き出ているのは西崎灯台で、台湾の蘇澳まで100キロ余りしか離れていない=2003年7月4日(撮影:松田 良孝)

地図を頭に思い描いてみても、済州島と与那国島はなかなかつながらない。それもそのはず。与那国島は、済州島から南南西にはるか1000キロ余り離れたところに浮かんでいるのだ。

『朝鮮王朝実録』を読むと、3人は漁船に助けられるまでの間、風に翻弄(ほんろう)されていたことが分かる。こうして3人は黒潮を渡るか、何らかの理由でかわすかして、与那国にたどり着いたのである。

漂流記は、八重山の人々の暮らしぶりを示す最も古い記録としても知られる。そこには、アワを中心とした農耕などが示されており、中央研究院の黄智慧氏は台湾の先住民との間に類似性を見出そうすることによって「東台湾海」という概念を編み出していく。漂流・漂着の経路が直接台湾と関係するかどうかは分からないが、八重山など沖縄と台湾との関係を考えるヒントを与えたという意味で台湾にとっても無視できない事件だったといえるだろう。