ご訪問がオランダの反日ムードを変えた

野嶋  一方、オランダへの訪問も、一つの時代を区切るという意味で、大きな効果を生んだようです。オランダは300年以上にわたりインドネシアを植民地としてきましたが、4万人の兵士と9万人の民間人がインドネシアで戦争捕虜となっており、慰安婦として働かされたと主張する女性たちもいました。かなり、下準備というか、オランダ世論への対応に苦労されたのではないですか。

撮影:高橋 郁文

池田  私の場合、外交官としての在外勤務は台湾、香港を含めて7つの国と地域がありました。通常は3年ぐらいの任期ですが、オランダには5年勤務しました。そのうち、4年ほどは天皇訪蘭の準備を心掛けている時間でした。2000年はオランダと日本の交流400年に当たります。西暦1600年にオランダの帆船「リーフデ号」が大分県に漂着して以来です。オランダは江戸の鎖国時代にも長崎の出島で通商ができた欧州の唯一の国です。

日蘭交流400周年を機に私は大使として3つのことを行いました。一つは対日抗議団体との交流です。法律的には、サンフランシスコ講和条約と日蘭議定書(「オランダ国民のある種の私的請求権に関する問題の解決に関する」日蘭議定書)で日本とオランダとの間の請求権の問題は解決しています。しかし、それでは道義的に認められないという人々が団体を作って毎月一度大使館の前でデモをし、プラカードを掲げて日本は賠償せよ、と要求していました。70歳以上の人が多く、デモは暴力的なものではありません。大使になってしばらくしてから、彼らのリーダ格の人たち数人にデモが静かに終わった後、大使館に入ってもらい、大使室で一緒にお茶を飲んで雑談する試みを始めました。

もう一つは、予算が付いたので戦争の被害者の方を毎年20数名、日本に招待することを始めました。今でも名前を変えて続いています。これまでに訪日者数は、合計で600~700人にはなっているでしょう。10日から2週間ほど、日本を案内していろいろ見てもらい、日本人と会って話をする。目には見えないけれど、地道な交流です。

元慰安婦とされる人々については、オランダ側に検証委員会を作ってもらい、結果として79人の人たちが慰安婦だったと結論付けられました。「アジア女性基金」から高齢の女性に対するベッドや椅子など1人当たり300万円相当の見舞金的な補償を出しました。

こうしたことを天皇陛下のご訪問前に行っていたこともあり、陛下ご訪蘭時には小規模なデモはいくつかありましたが、心配したほどの大きなデモは起きませんでした。そしてご訪問の間にも、次第にオランダ世論が良い方向に大きく変化していきました。

あの当時、ダメだったら辞表を出す以外はないという覚悟の気持ちは持っていました。2000年以降、オランダでは過去の戦争は主要新聞紙の一面記事になることはなくなりました。01年に日本に帰任する時にはオランダの新聞が「池田はミッション・インポッシブルをやり遂げた」と書いてくれましたね。もちろん、個人の感情には複雑なものがある人もいるでしょうが、一般社会としては日本とオランダの間の戦争問題は終わったという雰囲気になりました。その意味で、天皇陛下のオランダ訪問は画期的な意味を持ったと思います。