神農街に起きた変化
だが、安心ばかりもしていられないようだ。
6月末、私は、拙著『台南—「日本」に出会える街』(新潮社)の中国語翻訳版「什麼時候去台南?」の発売イベントに出席するため、台南を訪れた。
車で迎えに来てくれた台南の友人と、互いの近況を報告し合いながら市内へと向かった。車中で、彼女からショックな話を聞かされた。
「佳佳西市場ホテル(旅店)が営業停止した」「もう昔の神農街じゃない」
佳佳西市場ホテルは、リノベーションホテルのさきがけとして知られるデザイナーズホテルの代表格だ。神農街は清朝時代に栄えた通りに並ぶ家々が、雰囲気のあるギフトショップや民宿、カフェなどに生まれ変わり、ライトアップされた夜には歩けないくらいの人混みでにぎわう。台南のパンフレットの表紙に写っている通りだと言えば、ピンと来る人もきっと多いはずだ。
この台南の代名詞のような二つの場所に何が起こったのか。
早速、神農街を歩いてみた。通りの入り口の壁面全体に威風堂々と大きく掲げられた派手な看板に目を疑った。友人は「クレーンゲーム機の店よ」と教えてくれた。入り口には内部の冷気が逃げないよう、透明なのれん式ビニールカーテンがつるされており、中にはクマやクジラ、アヒル、パンダなど、縫いぐるみの入ったクレーンゲーム機がずらりと並んでいた。その数20台以上。
以前は何の店だったか…。思い出そうとしたけれども思い出せない。でも、少なくとも機械ばかりの無機質な無人店ではなかったことは確かだ。
クレーンゲーム機の店の隣には、韓国の民族衣装が飾られていた。壁には「韓服1時間200元」(1元3.7円)「和服1時間300元」。チマ・チョゴリと和服のレンタルをしているのだ。「台南で韓国の民族衣装が流行っているの?」と友人に何度も確かめた。
通りの左側の最初にあったはずの「永川大轎」の工房もない。永川大轎は、3代にわたり、御神体を乗せるための「神轎(みこし)」を作り続けている老舗で、気難しそうな職人たちが、真剣に作業している姿を眺めることができたのに、雑貨店になっていた。
神農街の入り口左右の4店舗が全て入れ替わっていた。
ついこの間来たときと全然違っている。気持ちいい空間のカフェはひっそりとしていて、店前(たなさき)には借主を求める不動産屋の連絡先の電話番号を記した看板が立て掛けられていた。
偶然にも、神農街の奥に住み、民宿を経営する陳さん家族に出会った。陳さんにとって、神農街は日々使う生活道路だ。幼い頃の思い出もいっぱい詰まっているはずだ。急激に変わる神農街をどう見ているのだろうか。
「時代の変化ね」
ほんのわずかな時間の立ち話だったが、心なしか、笑顔が少し寂しそうに見えた。


