「いらんこと」を言ってくれたりがうれしい大阪の礼儀作法

大阪人特有の「コミュニケーション」は、グルメにしてもショッピングにしても、商品を自慢する前に「まいど」から始まる会話がある。タクシーに乗れば天気予報や阪神タイガースの実況中継をしてくれるし、飲食店のカウンターに座れば「どこから来たの」と尋ねられ、「これおいしいから」と「今日のうまいもん」を薦めてくれる。

カウンターを挟んで客と料理人が向き合って言葉のやり取りをする料理店である「割烹」は、大阪が生んだ飲食店の一業態だが、そこでは品書きと値段が情報化されたメニューとして表記されるのではなく、コミュニケーションの上に料理がのっかっているようなものだ。

食材を買うこと一つでも、大型スーパーに並べられたトレーのラベルを見て、こっちが黒毛和牛のすき焼き用のロース何グラムでいくら、こちらが国産牛のサーロインで何グラムいくらとか、そういう情報を見比べて必要なものをカゴに入れて、レジに持っていってバーコードで「ピッ」ということではない。

大阪の商店街は、だいたい市場付きのいわば「日常の生活」商店街がほとんどで、例えば塩干店の店頭でうまそうなカマスの干物を見つけて、「これ、どうやって焼いたらいいんですか」と聞けば、「オーブントースターがいいけど、あとが臭くなるから、フライパン中火でそのまま裏表10分」というふうに答えが返ってくる。

そして時には「おまけ」があったり、「いらんこと」を言ってくれたりで、「ああ、大阪やなあ」となる。

この大阪特有のコミュニケーションのありようは、大阪人が口にする語彙(ごい)や大阪弁のイントネーションといったものではなく、長い間かけて大阪の商店街の実生活で培われた、客と店側の接触の仕方である。よく言われる大阪の「おもろい」至上主義というのは、吉本的お笑い要素では決してなく、大阪人が他者と関わる際の作法、ものの感じ方や表現の方法なのである。

「地元意識」を共有できる大都会

大阪は大都会である。これに異論を差し挟む人はいない。大都市や都会は、匿名的な存在でいられる場所であり、旅行者のようにあっちこっちと食べ歩いたり、流行軸に沿ってあの店この店とショッピングしたりすることが、当たり前にできるところだ。

けれども大阪ミナミの街場では、客・店の双方が実名的存在で、どちらも「地元意識」を共有するコミュニティーの一員であるようなことが多い。

もちろんこの匿名性と実名性を使い分けることが、楽しい都市生活を送ることの要件だと思うのだが、大都会のなかで人情味あふれる出会いがあって知り合いになれる他者の数を有限と見るのか無限と考えるのかで、都市生活での人の付き合い方や振る舞いのありようががらりと変わってくる。

大阪という土地に住む大阪人には、「知り合いばかりで、みんな良い人、おもろいヤツ」といった理想が、社会倫理の基底にあって、それは日本語を解せない外国人観光客にも分かる。

そうした感覚はデータや数字で示すことはできないが、大阪人のわれわれが、パリやイスタンブールの下町でも同じようなにおいを感じることに通じるのではないか。

大阪の下町情緒あふれる新世界(撮影:黒岩正和)
大阪の下町情緒あふれる新世界(撮影:黒岩 正和)

バナー写真=大阪ミナミを代表する繁華街・道頓堀(撮影:黒岩 正和)