「落選する為に立候補しているぞ」
1973年春の私は自分が何年かして同時代台湾政治の観察・研究に主力をおくことになるとは想像だにしていなかった。だから、半年前の72年9月に日本が台湾と断交したことはもちろん意識していても、訪台のほんの2カ月前の12月に、後の台湾政治の民主化の一里塚とも言える「中華民国叛乱鎮定動員時期増加定員選挙」という長い名前の国会選挙が初めて行われていたことを全く知らないでいた。共産党の叛乱鎮定のため総動員する非常時だが、蒋介石と一緒に大陸から台湾に逃げてきた非改選のままの国会議員の議席はそのままにして、台湾のみの定員を増加してその枠の国会議員のみ定期改選するという奇妙な国会選挙が始まっていたのであった。
台湾現代史の最大の悲劇、1947年の二・二八事件についても、一応のことは知っていた。戴國煇さんが資料を紹介してくれていたし、日本では亡命台湾独立派の本も出ていたからでもある。この時、台北に着いた翌日が2月28日だった。もちろん、何も起こらなかったが、すでに本省人インテリと付きあいのあった河原さんは、この日になると警察が静かに警戒を強めたりして、密やかな緊張が走るようなのだといった話をしてくれた。
私の同時代の台湾政治についての認識はそんな程度ではあったのだが、旅の途上で気が付いて今も覚えていることがある。確か台中の街中だったか、奇妙な光景に出くわした。何か選挙が行われていて、「落選する為に立候補しているぞ(為落選而競選)」と大書した看板を載せた選挙カーを目にしたのである。
今、年表を繰ってみると、この年3月17日には、台湾省県市議会議員と郷鎮長選挙の投票が行われている。私はこの時の選挙キャンペーンのどれかに出くわしたのである。後知恵だが、前年の「増加定員選挙」ですでに少数でも、まもなく「党外」と呼ばれるようになる、明確な主張のオポジションの人物が政治舞台に登場していた。比較政治学者の岸川毅教授(上智大学)によれば、地方政治レベルではもっと前から根強い動きがあったというのだから、この時私がこのような明らかに国民党の政治独占をやゆするようなキャンペーンを展開する候補の選挙カーに出くわしても何の不思議も無かったといえるだろう。
