改修工事が進むマカオの療養所跡

その後、にわか勉強をしながら日本の療養所も見学した私は、16世紀に造られた歴史あるマカオの施設を、機会があれば見学したいと思っていた。ポルトガル人はどのようにハンセン病施設を運営していたのかも知りたかった。

先月の初め、内外の観光客がごったがえすマカオ半島のモンテのとりでや聖ポール天主堂跡から、北東へ数分歩き、石造りの建物に緑色の窓がアクセントになった「聖ラザロ教会」(中国名は望徳堂)へ到着した。いつの間にか観光地の喧噪(けんそう)が遠のき、ひなびたポルトガルの街角に来たようである。

この教会は1568年に初代のマカオ司教がハンセン病施設の付属礼拝堂として建て、聖母マリアを祭った。同じ頃、ハンセン病の療養所が旧城壁の外に造られ、カトリック教会が運営してきた。入所者の世話をする宣教師や尼僧は、人道的な対応を取り隔離をすることもなかった。また、多民族が共生するマカオらしく、どんな国籍の病人でも受け入れた。16~17世紀のマカオは、貿易とキリスト教を介して東洋と西洋を結びつける大役を担っていたことは、世界史の授業でも習ったとおりだが、17世紀には徳川幕府に迫害された大勢の日本人キリシタンがマカオに逃れてきた。入所者の中には日本人だっていたかもしれない。

聖ラザロ教会の近くにあった療養所は、時代につれてあちこちに移転し1947年にコロアン地区へ移って現在に至っている。

その療養所跡は、東部の九澳山の山腹にある。コロアンは近年埋め立てが進んで島の形がすっかり変わってしまったが、山道を登ると風が潮の香りを運ぶ緑豊かな一帯が残っている。しばらくドライブすると、「九澳康復医院」の敷地内に療養所跡が見えた。警備員によれば、療養所の役割は1966年に終わり、所内で暮らしていた患者や回復者は全て老人ホームへと移り、87年に完全に閉鎖された。その後、麻薬患者の更生施設や老人ホームに建て替える計画もあったそうだが、長い間放置されていたという。

廃屋になっている未改修の建物(筆者撮影)
廃屋になっている未改修の建物(筆者撮影)

中国への返還後の2009年、文化局によってマカオの世界遺産候補としての調査が行われ、14年からは改修作業が始まった。南欧風のパールイエローの目にも鮮やかな建物が並ぶ様子は、その昔ポルトガル人官吏が住んでいた家々を博物館にしている「タイパ・ハウス・ミュージアム」みたいだ。修復された入所者の住居棟と好対照をなすのはツタがからまってすっかり廃屋になった1930年代の建物だ。洗面台付きの回廊は、治療棟へ向かっていたのだろうか。

改修が行われたマカオ「九澳康復医院」の敷地内にあるハンセン病療養所の患者住居棟(筆者撮影)
改修が行われたマカオ「九澳康復医院」の敷地内にあるハンセン病療養所の患者住居棟(筆者撮影)

奥へ進むと、あちこちからマリア像の慈愛あふれる視線を感じる。そして突き当たりには、「痛苦之母天主堂」(REJA NOSSA SENHORA DAS DAM)と名付けられた簡素な教会がひっそりと建っていて、ここは礼拝にまだ使われているらしい。日本や台湾で見かける納骨堂は敷地内には見当たらなかった。歴史の証人として療養所跡は、そのうち一般開放するのだろうか。

入所者を見守ってきたマリア像があちこちに立っている(筆者撮影)
入所者を見守ってきたマリア像があちこちに立っている(筆者撮影)