「若者が自分を「台湾人」と言えるようになった。これはひとつの希望」
晩年の史明さんは老衰や持病をおして車椅子に乗り、集会に参加して若者たちと交流、意見交換を続けた。彼らからは「史明欧里桑」(史明おじさん)と呼ばれて民主運動の精神的支柱の感さえあった。毎年の誕生祝賀会には多くの支持者が集まり、アイドル顔負けの人気だった。
そんな史明さんが台北大学附属病院に入院したと聞いたのでお見舞いに出かけたことがあった。広い特別室のソファにどっかと座った史明さんは、病人とは思えぬ気迫で約一時間、台湾の希望を語ってくれた。「この十年ほど顕著になってきたのは、自分は何者かという意識ですよ。台湾人だと即答する若者が増えたことは素晴らしい。ひとつの希望だな」と、満足そうに言う。
「僕らはレインボーカントリー(多元的国家)をつくらなければならない。台湾に愛着を持つ全ての人々に呼びかけて、共に本土化を推し進めるべきなんだ。国をつくるということは、人間としての自由と平等に基づいた行為です。台湾をふるさとだと思う進歩的な中国人もみんないっしょにやればいい。台湾人は団結するべきですよ」
中国から台湾へ戻り、亡命を経て半世紀以上、史明さんは台湾人の自覚を促してきた。ようやく台湾民族主義は世代を超えて浸透してきたようにも思われる。「歴史の必然として台湾は独立する」と彼は断言したが、その日はいつになるのだろう?
長寿の秘訣を「目的的に生きること」と即答したように、家族を持たず生涯を台湾独立という目標にささげた。彼の民衆へ向けられたまなざしは限りなく優しかった。時には父親のような慈愛で、時には激しい口調で、日本人の私をも叱咤(しった)激励してくれた史明さん。彼は自らの理想郷へ旅立ってしまったが、台湾、日本、そしてアジアの行く末を星になって見守っているだろう。
信念の人に改めて合掌。ありがとう史明さん、さようなら。
バナー写真=史明さん(筆者撮影)
