東京で康寧祥等と初めて会う
確か東京に戻った夜のことだった。戴國煇さんから電話があって、翌朝康寧祥、黄煌雄、張徳銘の3名の「党外」立法委員に会うから、同席したければ池袋のプリンスホテルのラウンジに来るようにとのことだった。もちろん、喜んで出掛けた。
康寧祥氏らは、立法院の夏休みを利用した訪米活動の帰途日本に寄ったのである。米国では、台湾のオポジションに同情的な国会議員に会ったり、シンクタンクを訪れたり、いくつかの都市にある在米台湾人団体との交流活動を行った。訪米の間は、上記3氏に加えて監察委員の尤清氏も加わっており、当時「党外四人行」と呼ばれた。いわば「党外」の外交活動であった。後知恵から見れば、米下院外交委員会アジア太平洋小委員会のスティーブン・ソーラツの訪台を引き出したのが、この「外交」の最大の成果だったようである。
康寧祥氏の回想録(『台灣,打拼—康寧祥回憶錄』2013年)を見ると、この時東京では、在日の台湾人団体と接触し、かつて戴國煇さんのいたアジア経済研究所やNIRA(総合開発機構)などのシンクタンクを訪問するなどの活動を行っている。戴國煇さんは1976年立教大学に移籍していた。
その朝のプリンスホテル、会話はもっぱら戴國煇さんとの間で進み、私は紹介された後は横で聴いているだけだった。どんな話だったかも記憶が残っていない。記憶に残るほど、またメモに残すほどに、話の内容に入っていけなかったではなかったかと思う。そうではあるが、生の人物に会うと会わないでは違う。台北での江春男さん、謝明達さんに続いて、台湾政治の渦中の「人に会う」の、まさに事始めであった。
バナー写真=「党外雑誌」『八十年代』の論客として知られていた江春男さん(司馬文武の筆名で知られる)と編集者の謝明達さんの名刺(筆者撮影)
(*1) ^ 若林正丈ブログ「台湾研究自由帳」2018年12月29日「林瑞明君と初めて出会った夏」
(*2) ^ まだ中華民国中央政府が南京にある1947−48年にかけて選出された議員が依然職権行使をしている国会。「増加定員選挙」は中華民国政府が実効統治している台湾においてのみ特別枠を設けて定期改選する選挙。
