犠牲者の数は把握困難

宮古島では戦後間もなくすると、台湾にとどまっていた島出身者のために引き揚げ船の運航が始まっている。台湾で終戦を迎えた宮古の人たちは、治安の不安定化や生活への不安から引き揚げを急いでいた。こうした状況の中で栄丸は基隆を出港したのである。

栄丸事件については、「沖縄県史」などが相応のページを割き、体験者による個人史も出版されている。こうした記録からは、栄丸は出港直前、乗船者が多すぎるのではないかと乗組員が乗客に追及される騒ぎがあり、出港ぎりぎりまで乗ったり降りたりが繰り返されたことが分かる。こうした事情から、確たる乗船者数は戦後75年を経てもなお判明していない。「沖縄県史」は救助された人数として「23人」「32人」といった異なる数字を挙げつつ、乗船者数や犠牲者の把握が困難なことから、「100人以上が死んだ」という点以外に定説は見いだせないとしている。

洲鎌久人さんが救助された場所=2019年10月24日、台湾基隆市の外木山海岸
洲鎌久人さんが救助された場所=2019年10月24日、台湾基隆市の外木山海岸