中国語が「財産」

大学2年の前期は交換留学生としてシアトルで過ごした。米国に対する漠然とした憧れはあったが、実際に暮らしてみるとやはり心地良かった。人種のるつぼであるこの国は、同調主義的傾向の強い東アジアの社会とは違い、ありのままの自分でいられると感じた。

米国から帰国すると、今度は第二外国語として中国語を履修した。読み書きなら何とかなるだろうとの軽い気持ちからだったが、自分でも驚くくらいの速さで上達し、中国語学習にのめり込んだ。中国語関連の選択科目は軒並み履修し、夜まで図書館にこもり、中国語検定試験の過去問題を全て暗記するまで勉強した。それでも飽き足らず、慶応大学の夜間部の社会人コースも聴講した。上達するから面白い、面白いから習得に励むという完全に正のスパイラルに乗った。そして、この時出会った中国人教師の一言が、蔭山のその後の人生を大きく変えた。

「『人が奪えない財産を持ちなさい』とその先生から言われたのです。お金でもなくブランドでもなく、頭の中にある知識は今の科学では奪えないと。自分にとってその『財産』が中国語でした」

勉強が楽しいと心底思った。「財産」は、その後の蔭山を力強く後押ししてくれた。

「日據時代的十種生存法則」で第54回金鍾奨の助演男優賞にノミネートされた(彦恩国際マネージメント提供)
「日據時代的十種生存法則」で第54回金鍾奨の助演男優賞にノミネートされた(彦恩国際マネージメント提供)