台湾中部大地震のボランティア

1998年のことだった。大学卒業を目前に控えた4年生の後期に1年間休学し、北京の中央戯劇学院に留学した。留学生は少なかったが、一人だけ中国語がとてつもなく上手な日本人がいた。上には上がいる。蔭山はさらにギアを一段上げて中国語の勉強に励んだ。

蔭山と台湾の接点はその翌年に意外な形で訪れる。9月21日に台湾中部大地震が発生し、通訳兼任の災害ボランティアとして台湾に派遣されたのだ。震災発生から1週間後のことだった。南投県の被災地では、完全につぶれた一軒家や崩壊したマンションを目にするたびに心が痛んだ。その一方、復旧に当たる軍人の真摯(しんし)な姿や、何よりも自分たち災害ボランティアを温かく迎えてくれた台湾の人々に感銘を受けた。

「初めての台湾でした。こんなに親日的な場所があるのかと驚きました。卒業したら絶対に台湾に来ようと決心しました」

その決意の通り、2000年の春に大学を卒業すると半年間アルバイトで資金をため、政治大学の語学研修留学生として再び台湾の土を踏んだ。そして半年かけて、それまで習ってきた「普通話」と呼ばれる北京式の中国語から、「国語」と呼ばれる台湾式の中国語(台湾華語)へと、発音や語彙や言い回しを徹底して改めた。

蔭山は数年前に芸能プロダクションを辞め、芝居の世界に戻るつもりもなかった。ところが、当時台湾芸術大学の学生で後に映画監督となる北村豊晴から、学生映画に日本人役で出演して欲しいとの依頼が舞い込んだ。これをきっかけにさまざまな台湾の学生監督から声がかかるようになった。