五島列島を北上、世界遺産の構成資産を巡る
福江港から久賀島(ひさかじま)、奈留島へと船で北上した後、五島列島で2番目に大きい中通島(なかどおりじま)から頭ヶ島(かしらがしま)に渡る。ここからは「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺跡」の構成遺産となる集落がある島々だ。
200人以上が約12畳の狭い牢(ろう)に8カ月間押し込められ、拷問を受けたことで有名な「牢屋の窄(さこ)殉教事件」。その犠牲者は、1868(明治元)年に捕らえられた久賀島の信者たちだ。42名が命を落とし、殉教地には記念聖堂が建立されている。島の東部にある五輪地区には、1881年築の建物が移設された旧五輪教会堂がある。五島市最古の教会建築で現在は利用されていないが、ゴシック風の内部には外光が差し込んで幻想的だ。
奈留島はかくれキリシタンが多かったことで知られている。禁教令廃止後に洗礼を受けてカトリックに復帰した潜伏キリシタンとは違い、かくれキリシタンは宣教師の不在によって変化した独自の信仰を守り続けた。そんな島内で、明治初期にフランス人司祭の洗礼を受けたのが江上集落の人々だった。彼らが建てた江上天主堂は小規模ながら、日本を代表する木造教会として2008年に国の重要文化財に指定された。建設中の1917年は例年になく大漁で、信徒たちは「神のお恵み」と感謝し合ったそうだ。
中通島の東にある頭ヶ島には、頭ヶ島大橋で渡ることができる。明治維新前後、中通島の鯛ノ浦地区から潜伏キリシタンが移住して集落を形成した。その信仰の象徴となったのが頭ヶ島天主堂だ。西日本唯一の石造りの教会堂で、島内で切り出した石を丹念に積み上げた外観は重厚感にあふれている。
無人島に残る潜伏キリシタンの記憶
今回の旅のラストを飾るのは、五島列島北東部の野崎島。現在は無人島となっているが、かつては3つの集落があり、600人ほどの人々が暮らしていた。
野首(のくび)集落跡にあるのが旧野首教会だ。1908年、農業を営むわずか17戸の信者たちはキビナゴ漁に励み、大人は1日2食に減らすなどして助け合いながら教会建設の資金を蓄えたという。
島の南端に位置する舟森集落跡には、かつて瀬戸脇教会があったが、今は石垣などが残るのみ。驚くほどの急斜面にあり、この地で生活を送った人々の苦労が感じられた。五島列島では美しい教会に多数出会えるが、その近くにある厳しい環境の集落跡にも心を打たれる。潜伏キリシタンの歴史や背景を学んでおくことで、島を巡る旅はより心に残るものになるだろう。
取材・文=黒岩 正和
(バナー写真=荒れ果てた斜面に建つ旧野首教会)








