福島・いわきの農耕儀礼を未来へ―民俗写真家・芳賀日出男の原点
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実りもたらす「田の神」への信仰
日本民俗写真のパイオニア・芳賀日出男氏は、31歳まで職業写真家ではなく、通信社で翻訳に携わっていた。転機は1952年の暮れに勤め先が解散して職を失い、気分を一新するため父方の故郷を訪ねたこと。福島県石城郡渡辺村(現・いわき市渡辺町)の親類宅に滞在し、農家に伝わる正月行事と出会ったのだ。
高度成長期直前の農村には、素朴な「田の神」信仰が生きていた。新年には家の主人や長男が新穀の藁(わら)を依代(よりしろ)として、豊年をもたらす「正月さま」を迎える(トップ写真左)。この神は春に再来し、田に降りて稲を実らせ、秋の収穫を終えると山へ帰るという。
見えない神を身近に感じ、自然の恵みを願う姿に、芳賀氏はインスパイアされていく。神迎えの儀式、心を込めて作る祭具や供物などにレンズを向けた。プリミティブな精神文化に迫ると、大学時代に民俗学者・折口信夫から学んだ「まれびと(神の来訪)」の概念が、ファインダー越しに立ち現れた。
元旦に「正月さま」を迎えて祭壇に祀(まつ)る(芳賀日出男撮影)
冬枯れの田を鍬(くわ)で起こし、新年の豊作を祈る「農立て」(芳賀日出男撮影)
正月13日には「正月さま」の替わりに、餅を小枝に刺した造花「餅花」を飾る(芳賀日出男撮影)

正月14日夜の「豆占(まめうら)」。いろりに12粒の大豆を並べ、焼け具合から天候を占う(芳賀日出男撮影)
現在も続く小正月行事「鳥小屋」。正月飾りと共に竹や藁の建物を燃やし「正月さま」を天に返す(芳賀日出男撮影)

小屋では子どもが主体となって、豊作祈願の「鳥追い唄」を歌ったりおでんを食べたりして過ごした(芳賀日出男撮影)
“民俗写真の発祥地・いわき”の伝統継承
いわきの記録は初写真集『田の神―日本の稲作儀礼―』(平凡社、1959年刊)の冒頭を飾る。芳賀氏は序文で撮影意図をこう記している。
私たちの祖先は2000年来稲をつくって暮らしてきた。その間一日として豊作を祈らないことはなかった。この願いから農民の間に「田の神」の信仰が生れ、稲作の儀礼ができあがった。日本人の習俗、年中行事、祭礼、芸能、神話などは田の神信仰の影響をうけたものが多い。わが国の稲作儀礼は私たちの生活意識や社会構造を理解する鍵の一つである。(中略) ここに集録した儀礼は昭和28年から32年まで現存し、信仰と生産と娯楽がいっしょになり、同時に行われている伝統的社会である。今や豊作は田の神の力なくして得られる科学の時代に入った。農業技術の進歩と農村生活の近代化はこの三者未分化の社会を急速に解体しつつある。今こそ稲作儀礼は記録にとどめる最後の時代である。
予見した通り、稲作儀礼は全国的に簡素化や消滅の一途をたどった。一方で、『田の神』に収載した広島県「壬生の花田植」や石川県「奥能登のアエノコト」は後年、ユネスコ無形文化遺産に登録されるなどその価値が評価されている。そうした「未来に残すべき民俗」を追い続け、芳賀氏は101歳で天寿を全うした。
芳賀氏の民俗写真の原点となったいわきも、今では農村の伝統が失われつつあり、継承活動に力を入れている。その中心を担う「いわき市暮らしの伝承郷」は1999年の開館以来、郷土の暮らしに関するさまざまな資料を収集・公開してきた。
広大な敷地には、かやぶき屋根の伝統的な民家5棟を市内各地から移築・保存し、近代以前の農村を再現。建物内には当時の民具を展示、田畑では農作業も体験できる。市内の小学生が授業の一環として同館を訪れ、土日にも市民が地域の生活文化を学べるワークショップを定期的に開催している。

江戸時代から現在までの暮らしを紹介する常設展示室(鵜澤昭彦撮影)

村の魔よけ「お人形様」(左)など民具を市内各所から収集している(鵜澤昭彦撮影)

江戸後期から明治初期に建てられた古民家を展示(鵜澤昭彦撮影)

上:お盆時期の民俗芸能「じゃんがら念仏踊り」の実演 下:体験学習の正月飾り制作(写真提供:いわき市暮らしの伝承郷)
2026年夏には、芳賀氏が市内で撮影したフィルム46本の画像データを「郷土教育に役立ててほしい」と、長男・芳賀日向さんが伝承郷に届けた。早速、30年以上前に途絶えた民俗芸能を見つけ出し、その貴重な写真を今夏の企画展で展示した。
学芸員の太田勇陽さんは「戦後のいわきの農村風景を収めた写真は極めて希少で、学術的意義は高い」と語る。例えば、果樹に刃物を打って実りを約束させるまじない「成木責め」(トップ写真右)は、写真を見た民俗学者・関敬吾が「言葉では理解していたが、その実態を初めて知った」と述べたという。
今秋の企画展では藁をテーマに、寄贈写真の中から「正月さま」や「鳥小屋」などを展示する予定だ。さらに学校での出前講座の資料に用いるほか、文化資源をWEB上に公開する「いわきデジタルミュージアム」への掲載も進めている。日向さんは「父が写したような民俗を大切にしていて、伝承郷に預けることができて本当に良かった」と語る。

上:伝承郷の矢島敬之館長(左)に画像データを手渡す日向さん 下:企画展「いわきの民俗芸能」(9月27日まで)では、1960年に撮られた「中釜戸の奴子行道(やっこぎょうどう)」を展示(鵜澤昭彦撮影)

1953年の正月行事の被写体になった上釜戸集落。農地は減りつつも稲作が続いている(上:芳賀日出男、下:鵜澤昭彦撮影)
震災後も豊かな民俗は息づく
日向さんは会津若松市の福島県立博物館も訪れ、フィルム138本分に及ぶ県内全域の民俗写真の画像データを寄贈した。東日本大震災翌年から世界巡回した写真展に芳賀氏が出品し、里帰り展を開催した同館がその作品を所蔵した縁があったからだ。
寄贈式では、民俗担当の学芸員・大里正樹さんが、写真に収められた祭具や工芸品を披露。「伝統儀礼を説明するには、実物資料と併せて写真が重要。とりわけ行事の意義を心得た撮影者のものは貴重です」と解説した。
さらに、複数のカットが撮影順に連なった状態でデータ化したことから、行事の流れを読み解ける点にも注目。特に興味深いのが、1960年に三春町で撮影した祝言の一連だ。
「花嫁が嫁ぎ先に迎えられる瞬間をとらえているが、一生に一度の結婚式、それも一般家庭に上がってカメラを構えるには、入念な下調べや交渉があったはず」と推測。前後のカットから撮影過程を追うと「仲人やご近所さんが花嫁のかぶる笠を外したり、屋内では祝いの謡曲『高砂や』を歌っていたり。民俗学の教科書に載りそうな、婚礼儀式の典型的な場面を漏らさず収めている」と驚いたそうだ。
嫁入りのカット。その前後で結納や氏神さまへの報告など、婚儀の一連に密着していた(芳賀日出男撮影)

上:福島県立博物館は寄贈写真に記録された民具も収蔵 下:松山正行館長(左)は「県の魅力を伝える宝にしたい」と喜ぶ(ニッポンドットコム撮影)
寄贈に際して日向さんは「福島の祭りは人間の大切な営みを残している。震災後はあまりクローズアップされないが、写真をきっかけに、地元の民俗を誇りに思ってほしい」とエールを送った。
先行して2025年夏に里帰りした、鹿児島・奄美群島の本土復帰直後の写真は、現地での活用が進んでいる。今夏は奄美博物館で寄贈記念展が開かれ、本土に住む沖永良部島出身者向けの写真展も神戸市を皮切りに各地で開催予定だ。福島でも、地域文化を未来へつなぐ一助となることを願う。
二本松市「木幡の幡祭り」。15歳の通過儀礼「胎内くぐり」を受け継ぐ(芳賀日出男撮影)
浅川町の伝統行事「風袋様(かぜぶくろさま)」。台風から田畑を守るとされる(芳賀日出男撮影)
伝統工芸「会津絵ろうそく」の工房(芳賀日出男撮影)
取材・文=藤原 智幸(ニッポンドットコム編集部)
バナー写真:福島の新年行事「正月さま」「成木責め」(芳賀日出男撮影)









