【書評】没後に刊行されたスパイ小説巨匠の遺作:ジョン・ル・カレ著『シルバービュー荘にて』

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スパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレの遺作が刊行された。主人公は、英国情報部配下の引退した現場工作員だが、当局から不審な行動を監視されている。彼は何に忠誠を尽くしていたのか。国家の正義と、個人の良心との葛藤を描く、著者最晩年の集大成ともいうべき味わい深い作品である。

 一昨年12月初め、ル・カレの訃報に接し、『スパイはいまも謀略の地に』(2019年、邦訳は2020年7月)が遺作になったかと思っていた。ところが、嬉しいことに未発表の原稿が遺されていたという。それがここに紹介する作品である。
 そもそも、どういう経緯で出版されることになったのか。

 本作のあとがきに、ル・カレの末息子であるニック・コーンウェルがその詳細を記している。

 比喩的な夏の出来事だった。僕たちはハムステッド・ヒースを散歩していた。父も癌を患っていたけれど、それで死ぬというより、それとともに死ぬという感じだった。約束してくれないかと父が言ったのだ――もし私が未完成の原稿を机の上に残して死んだら、それを完成させてくれないか?
 僕はイエスと答えた。

 ニックによれば、それは「未完成ではなく、出し惜しみしている原稿」だった。執筆されたのは、「僕が父の作品の完璧な蒸留物だと思う『繊細な真実』(筆者注・2013年刊行、邦訳は2014年)」のあとであったという。

  その原稿は、一読、「畏怖を覚えるほどすばらしかった」とニックは記している。それではなぜ、ル・カレは長い間、発表せずに机の抽斗にしまっていたのか。その答えは、ニックのあとがきを読んでほしい。
 そういうことだったのか!

  ニックは、「内々の絵筆のひと刷きに近い編集作業から、皆さんがいま手にしておられるバージョンが生まれた」と書いているから、本作はほぼ元の原稿に近いものであるのだろう。おかげで、私たちはすっかり諦めていたル・カレのもうひとつの遺作を読むことができるのだ。
 お待たせ、それでは物語を紹介していこう。

ゼーバルトの『土星の環』

 本作は、若い女性リリーが2歳の息子を連れて、激しい雨降るロンドンのサウス・オードリー・ストリートにあるアパートを訪ねるところから始まる。
 彼女は、母親からプロクターという名の人物に会うよう指示され、彼に手渡す手紙を携えていた。
 そこに何が書かれてあったのか。そもそも彼女彼らは何者で、このエピソードは読者をどこへ連れていこうとしているのか。そのいっさいを明らかにせず、ル・カレはわれわれを濃い霧につつまれた迷路へ放り投げてしまう。

 そして場面はいきなり転換する。今度はイースト・アングリアの海沿いの小さな町だ。
 ロンドンの金融街で敏腕トレーダーだったジュリアン・ローンズは、仕事に嫌気がさして、そのひなびた町で小さな書店を経営することにした。まだ33歳の若さで独身である。店を開店してまだ6週間しかたっていない。

 リリーがプロクターを訪ねたと同じ頃、閉店間際のジュリアンの書店に「ホンブルグ帽(筆者注・ドイツ由来の中折れ帽)に黄土色のレインコート」といったいでたちの、白髪頭の男性客が顔を出した。彼はエドワード・エイヴォンと名乗り、ひとしきり本棚の品ぞろえをほめたあと、ゼーバルト(イギリスに移住したドイツ出身の小説家)の『土星の環』を置くべきだといって立ち去っていく。彼は書店の地下室にたいへんな興味を示していた。

 翌日の朝、ジュリアンが海辺のカフェで朝食を取ろうとしていると、そこにエドワードが偶然現れた。彼はだしぬけに、ジュリアンの亡き父親とはパブリック・スクール時代に友人だったと告白する。それはどうやら確かなことのようだ。そして、書店の地下室にすぐれた古書を集めたコーナーを設けるべきだとアドバイスする。名付けて「文学の共和国」、ジュリアンはそのアイデアが気に入った。以来、エドワードはしばしば書店を訪ねるようになる。

 このエドワードが本作の主人公、ジュリアンが脇でささえる重要な登場人物ということになる。

哲学者ニーチェの「シルバーブリック」

 ル・カレはまず、プロクターの身元を明らかにする。55歳のプロクターは、イギリス情報部の国内保安の責任者である。
 プロクター家はエスタブリッシュメントの家系で、妻のエレンは彼がフォークランド紛争時にブエノスアイレスで副支局長を務めていた頃の部下だった。成人した双子の子供がいる。
 この、やり手として描かれるプロクターが、主人公とならぶ最重要人物だ。プロクターは、エドワードを監視し、彼の身辺を調査している。政府に打撃を与える重大な機密情報が漏洩しているようだ。

 エドワードとは何者なのか。
 彼は、「シルバービュー荘」と呼ばれる古い大邸宅に住んでいる。その名称は、ドイツの哲学者ニーチェの家「シルバーブリック」にちなんでエドワードがつけたものだ。妻デボラは、かつて情報部でエース級の働きをしていた情報部員にして管理官だったが、いまは一線から退き、重篤な病に臥せっている。すでに死期が迫っており、娘のリリーが面倒を見ている。

 本作では、エドワード本人が自らの過去を語ることはない。妻と娘は彼をどのように見ていたのか。若き書店主のジュリアンが思っていた礼儀正しく教養深き紳士としてのエドワード、そして、プロクターが関係者を訪ね歩いて調査した英国の有能なスパイとしてのエドワードの、過去と現在の姿がそれぞれの印象や証言を通して描かれていく。

 読みすすむにつれて、ひとつずつ、パズルのピースを埋めていくように、エドワードの複雑な人間像が浮き彫りになっていく。それが本作のおおきな読みどころである。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の虐殺現場

 エドワードは、どのような機密を誰に漏らしていたのか。それは何故なのか。これが物語の最大の関心である。そして、彼はなぜ書店主のジュリアンと懇意になり、彼に何を託したか。書店の地下室にはどんな秘密があったのか。それが物語の謎を解くカギになっている。

 ここでエドワードの履歴を記しておく。
 彼の父親はポーランド人で、筋金入りのファシストとしてナチスを信奉していた。戦後、父親はナチス戦犯となり処刑されるが、母親は赤ん坊を連れ、ひそかにパリへ逃亡した。

 長じて、エドワードはソルボンヌ大学に進み、反ファシストの共産党シンパになった。のち、父親の故郷に戻り、ポーランドのグダニスク大学でマルクス・レーニン主義の講義を行うが、共産主義に幻滅してパリに亡命。そこでポーランドからの亡命者だった若きバレリーナ、アニアという美しい娘と恋仲になる。

 彼女との出会いが、その後のエドワードの人生を大きく変えた。アニアは英国情報部の手の内にあり、彼もまた情報部にリクルートされ、配下の現地工作員として今度はポーランドでスパイ活動に邁進するようになるのである。彼は折り紙付きの第一級の工作員になった。

 しかし、彼は2度、大きな挫折を味わう。ここでは詳しく語らない。最初はポーランドで。失意のどん底でイギリスに戻り、帰還後聴取の担当だったデボラと知り合い結婚するが、そのまま引退生活を送っていた。のちに、妻は情報部内でも指折りの中東問題専門家になっていく。

 1990代初頭、旧ユーゴスラビアでボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が勃発する。国連とNATOが介入し、情報部はクロアチア語にも堪能なエドワードを再び現場に呼び戻す。
 ドイツの救援組織のメンバーに偽装して現地入りしたエドワードは、再び悲劇を目の当たりにする。セルビア人部隊によるイスラム教徒の弾圧。ある悲惨な虐殺現場に遭遇した彼は、夫と息子を殺害されたヨルダン人の女性サルマを助け、イギリスに帰還した。このときの辛い体験が2度目の挫折。そこから彼の人生は再び大きく変転していく。

 エドワードの良心は、引き裂かれていく。国家の正義とは。彼は何に忠誠を尽くしていたのか。アニアとサルマのふたりは、彼の存在意義を揺るがすものだった――。

NATOは冷戦期の遺物

 私がもっとも気に入っている場面を紹介しておきたい。
 物語の終盤、プロクターは国内保安の責任者だが、エドワードによる機密漏洩の背景を探っていくうちに、彼の行動に理解をしめすようになる。代弁するかのように、プロクターは上司にこう言う。

「アメリカはいかなる犠牲を払っても中東を操ろうと決意していて、自分で始めた戦争の結果に対処しなければならなくなるたびに、次の戦争を始める習わしである。NATOは冷戦期の遺物であって、もはや利益より害になる。そして権限もなくリーダーもいない哀れなイギリスは、うしろからついていくだけ。いまだに偉大さを夢見ていて、ほかに夢見るものを知らないから」

これはル・カレの現状認識でもあるのだろう。

 プロクターは心の中でエドワードに問いかける。

あなたはいったい何者なのだ、エドワード?あまりにも多くの人物でありながら、まだほかの人物であろうとしているあなたは? 幾重もの偽装をはぎ取ったあとに残るのは誰だ?それとも、あなたはたんに偽計の合計にすぎないのか?

罪悪感と恥辱の火炉で鋳造される人格とはどういうものなのだろう。残りの全人生を費やして努力しても穢れを消せないことがわかっているというのは。あらんかぎりの力を注いだものが、何度も何度も、ポーランドでも、ボスニアでも――文字どおり、決定的に――自分の足元から奪われていくのを見るだけだったとしたら、どうなるだろう。

 エドワードは、娘リリーに言い残した。
「ママは立派な女性だった。私はやるべきことをやった、ママと私が別の宇宙に住んでいたことだけが残念だ」

 この作品は、ル・カレの集大成であるように思う。読み進めるうち、過去の作品の数々が思い出されてくる。
 エドワードがイスラム教徒に心を寄せ、中東情勢に心を痛める様は、『リトル・ドラマー・ガール』をよみがえらせる。彼が、情報部から背信した動機は、『繊細な真実』で良心に従って組織を告発しようとするふたりの主人公トビーとキットを思わせる。
 そして、プロクターの裏切り者エドワードに対する理解は、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』のスマイリーとビル・ヘイドンのようではないか。

 物語の本筋と直接関係があるわけではないが、プロクターが妻エレンの不貞を疑うくだりは、スマイリーシリーズにも同様の場面が随所に見られ、これは作家がどうしても書きたい嗜好であるかのようで、くすりと笑わせる。ドイツ関連の記述がいくつも出てくるのは、若き日のル・カレ自身がドイツ文学を志したことのオマージュか。

 これらは私の感想である。おそらく読者もそれぞれに、場面々々で過去作品に思いをはせることであろう。
 もはや、ル・カレの新作を読むことはかなわない。しかし、このスパイ小説の巨匠は、没後、遺作としてこの傑作を世に送り出したことでわれわれを驚かせ、見事に作家としての生涯に幕を引いたのだと思う。

「シルバービュー荘にて」

ジョン・ル・カレ(著)、加賀山卓朗(訳)
発行:早川書房
早川書房: 268ページ
価格:2500円(税込み)
発行日:2020年12月25日
ISBN:978-4-15-210069-6

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