今日は何の日:On This Day in Japan

今日は何の日:8月15日

中曽根首相が靖国公式参拝

1985(昭和60)年 中曽根康弘首相が靖国神社に公式参拝。拝殿で「内閣総理大臣」と記帳し、公費で購入した生花を本殿に供えた。中国、韓国が強く反発した。次に靖国参拝を終戦記念日に行ったのは2006(平成18)年の小泉純一郎首相。小泉首相は01(同13)年に自民党総裁選で8月15日に靖国参拝を行うことを「公約」したが、同年は15日を避け、2日前倒しで13日に参拝するなど、05(同17)年まで15日の参拝は控えていた。

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村山談話を閣議決定し発表

1995(平成7)年 社会党所属の村山富市首相が「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する声明を、閣議決定を経たうえで発表した。「村山談話」と呼ばれる。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」との歴史認識を示し、謝罪した。

その他の出来事

明治政府が太政官制採用

1869年(旧暦:明治2年7月8日) 明治維新政府が官制改革を実施し、民部以下の六省を管轄する官庁として太政官が置かれ、太政(だじょう)官制が成立した。しかし、この改革は律令的太政官制に基づく復古的なもので、三権分立制は消え、太政官の上に神祇(じんぎ)官が置かれた。太政官制はこの後も数度の改革を経て、85(明治18)年12月の内閣制度樹立まで続いた。

北海道開発目指し開拓使設置

1869年(旧暦:明治2年7月8日) 明治政府が蝦夷地(北海道)の開発を目的に開拓使を設置。北海道の人口・産業の中心は、箱館府が置かれていた箱館(函館)だったが、位置が南に偏りすぎているため、北海道の中央部に本庁を設けることになった。一時、銭函(現小樽市銭函)に開拓使仮役所を開設した。その後札幌のまちづくりを進め、71(明治4)年に開拓使庁が札幌に移された。

玉音放送で戦争終結伝える

1945(昭和20)年 昭和天皇が「戦争終結の詔書」をラジオ放送で発表され、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏したことを伝えた。天皇は14日に同詔書を朗読してレコード盤に録音。日本放送協会(NHK)が15日正午、このレコード盤を使い初めて、天皇が肉声で語り掛ける「玉音放送」を流した。国民はラジオを通じて戦争の終結を知った。

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戦後初、夏の甲子園が開幕

1946(昭和21)年 「夏の甲子園」で親しまれ、戦時中中断されていた「全国中等学校優勝野球大会」が復活し、この日開幕した。当時甲子園球場は連合国軍総司令部(GHQ)に接収されていたので、全国大会の全試合が西宮球場(兵庫県西宮市)で行われた。47(同22)年には大会会場が甲子園に戻り、48(同23)年に学制改革が行われ、大会名称も現行の「全国高等学校野球選手権大会」に改められた。

忠犬ハチ公像が再建され除幕

1948(昭和23)年 東京・渋谷駅前に「忠犬ハチ公像」が再建され、除幕式が開催された。初代の銅像は太平洋戦争の戦況が悪化した44(同19)年に金属回収の対象となり、撤去された。戦後、復興と平和の象徴として忠犬ハチ公像の再建を目指す動きが起こり、初代のハチ公像の作者である彫刻家安藤照(てる)の長男士(たけし)が制作。現在も待ち合わせの場所として親しまれている。

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初の全国戦没者追悼式開催

1963(昭和38)年 日比谷公会堂で政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。8月15日に同追悼式が行われるようになったのは、この年が初めて。64(同39)年には靖国神社敷地内で行われたが、国会で問題となり、65(同40)年からは毎年、日本武道館で行われている。追悼式は日本が連合国の占領下から主権を回復した後、遺族の悲願に応えて、52(同27)年5月2日に新宿御苑で行われた。

三木首相が靖国参拝

1975(昭和50)年 三木武夫首相が現職首相としては初めて終戦の日に靖国神社に参拝したが、「私人としての参拝」と主張し、中国や韓国の反発はなかった。中韓が首相や閣僚による靖国参拝を批判することになったのは、東条英機元首相ら14人の東京裁判のA級戦犯を78(同53)年に合祀(ごうし)したため。昭和天皇も合祀以降は靖国参拝を行わなくなった。

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