特集 震災復興の現実
東日本大震災から4年 「地元負担イコール自立ではない」
須田善明・宮城県女川町長に聞く

菊地 正憲【Profile】

[2015.06.25] 他の言語で読む : ENGLISH | 简体字 | 繁體字 |

他の被災地以上に町の中心部が壊滅した宮城県女川町。それにもかかわらず、駅などの中核施設が相次いで完成し、復興の歩みの早さが注目されている。須田善明町長に2年ぶりに単独インタビューを行い、復興事業の現状や課題について聞いた。

須田 善明

須田 善明SUDA Yoshiaki1972年女川町生まれ。明治大学経営学部卒業後、広告代理店勤務を経て、1999年から宮城県議会議員を3期務める。震災後の2011年11月、女川町長に初当選。

心強い漁業・水産加工業の立ち直り

——中心市街地では2015年3月に女川駅が4年ぶりに再開し、地元産業にとって特に重要な港の復旧ぶりも目覚ましく、付近には新しい水産加工場も相次いで完成しています。復興の道筋が見えてきたのではないですか。

須田善明・女川町長 まだまだこれからです。新駅舎が完成したのは大きな一歩で、何より基幹産業の漁業、水産加工業が立ち直ってきたのは心強い。昨年度の町内の漁業生産高は55億円で、震災前の50億円弱を上回り、女川魚市場の水揚げ高も震災直前の水準を上回っています。いずれも魚価が高かったためです。一方で、水揚げ量はまだ震災前の8割ほどの水準です。震災で亡くなったり、廃業したりした漁業者もいて、地元漁協の組合員数は震災前より2割以上減っていますので、状況が厳しいことには違いありません。

水産加工業は、水揚げされる魚介類の量の確保が何より重要ですから、バックヤードの港を1日も早く完全に使えるようにしなければなりません。岸壁関連工事は2015年度中にほぼ終わります。水産加工場用地の提供のため、今後2年ほどかけてかさ上げと整地を行い、工場の再建や進出のニーズに応えられるようにします。

カタール支援の水産加工施設が大きなカナメ

須田 魚介類の保管の面では、カタールが復興支援のために設立した基金からの資金援助を得て3年前に完成した多機能水産加工施設「マスカー」が、水産業全体の要になっています。ここでは加工業者たちが倉庫機能を共有し、効率化を図っています。個社同士が競争しつつ、一部機能を共有化するという発想は、これまでの経営のあり方にイノベーションを起こしています。女川の業者がチームとして競争するという意味で、画期的な取り組みだと思っています。

町としても、民間資金活用による社会資本整備(PFI)を導入し、共同で排水を処理する施設を4月に完成させたばかりです。地元水産加工業界が中心となり、電力会社から電気をまとめ買いして各業者に配電する「一括受電」の仕組みをつくり、ICT(情報通信技術)を使い個々の業者の電気使用量を制御するなど業界全体の電力コストを下げることも検討しています。

津波で旧駅舎が流出してから4年ぶりに再開業したJR女川駅(左)とカタールの基金からの支援で建設された多機能水産加工施設「マスカー」

手間取る災害公営住宅建設、町職員の人手不足も深刻

——前回の取材で「最重要課題」と位置づけていた災害公営住宅は、当初の目標通り2014年から入居が始まりましたが、進捗(しんちょく)状況はどうですか。

須田 確かに、入居開始は予定通り昨年春でしたが、実は建設の前提となる宅地造成に思いのほか時間がかかり、最初に示したスケジュールより3カ月から6カ月の遅れが生じています。基本的に、町内の高台の山林を重機で削って造成し、そこで出た土砂は海岸近くの中心市街地などのかさ上げに使っています。造成の際、固い岩盤にぶち当たることが多くて手間取っているのです。

女川町では計1000世帯分の公営住宅を建てる計画で、現在、250世帯分が完成しました。本年度内に300世帯分以上を完成させる予定です。町内の34カ所に団地を造ることになりますが、そのうち1カ所は、急きょ町内の陸上競技場を壊して、200世帯分を建設したほどです。

土地や資産の権利移転手続きの複雑さも遅れの要因になっています。膨大な数の権利者が関わっているために、町職員が総出で取り組んでも、なかなか完了しない。相変わらず町職員の人手が不足していて、難航を余儀なくされるのです。一方、離・半島部では、地形が急峻(きゅうしゅん)なため、土砂運搬のルートが限定されてしまい、これも全体的な復興工事の遅れのもとになっています。

復興工事の“入札不調”は何とか回避

——海岸に近い土地では、震災の影響で1メートル以上、地盤が沈下しました。震災後しばらくの間、港はかなりの部分が海水に漬かったままでしたが。

須田 地盤沈下した土地はまだ相当、残っています。海に近い中心部では、冠水対策を進めながら、同時に工事も進めていかなければならない状態で、工程上の影響が出ています。今なお、台風などで大雨が降ると、町じゅうの交通がマヒするほどです。海の方から水が逆流し、内水の排除ができずにあふれてしまうのです。

これ以上の工事の遅延を招かないようにしなければなりません。特に工程を工夫、見直して工期を短縮しようと考えています。今年5月半ばには、固い山を壊すために、これまでやっていなかった発破作業を取り入れました。発破で造成するのは、被災地では女川町が初めてらしいです。

土木資材の高騰が続いているため、復興関連工事の入札が成立しない入札不調がまだ見られますが、以前よりは少し減りました。高止まりになっているコストを見込んで予算を組んでいるので、現在は、他の被災地に比べればうまく落札が進んでいると思っています。

女川町内の高台にあった陸上競技場を取り壊して建設された災害公営住宅

原発再稼働は必要、厳格な基準のクリアが条件

——いまだに女川原子力発電所の再稼働の見通しが立ちません。町財政が苦しい中で、税収などの面で恩恵が大きい原発を一日も早く動かすべきだと考えますか。

須田 2015年度の町の当初予算は340億円強で、震災前の6倍近くになっています。大半は区画整理や防災集団移転の事業を含む造成関連費用です。固定資産税を中心とした原発由来の財源があるのは有利には違いありませんが、2年前に地方交付税の交付団体になったので、その財源も確保されています。町の財政調整基金も100億円強あり、震災前と同じ水準です。原発からの固定資産税は現在20億円で、減価償却に伴って年間1~2億円ずつ減っています。

原発の再稼働については、条件がそろって初めて可能になるはずです。最も大切な「耐災害性」の審査を原子力規制委員会でしっかりやってもらわなければなりません。厳格な基準をクリアすることが大前提です。私自身は、女川のためにではなく、国全体のマクロのエネルギー供給を考えて、原発は当面必要だと考えています。代替電源を開発、拡充するにしても、10~20年はかかるでしょう。

財政関連で言えば、国は現在、国が全額負担してきた復興事業費の一部を地元自治体に負担させる方針を示しています。しかし、町は既にさまざまな負担をしてきていますし、言われているような「負担することが自立につながる」という文脈はおかしいと思います。国の考え方を理解しないわけではありませんが、仙台市のように財政力の強い自治体は、早く事業を終わらせているので負担がゼロになり、条件が厳しくて時間がかかっている自治体には負担を求める、というのは賛同しかねます。

人口減前提に“コンパクトシティー”づくり

——町の人口が震災前より3割も減りました。まちづくりの点で影響はありますか。

須田 人口減は全国的なトレンドであり、女川町も、震災がなくても減っていく流れにありました。どうしたらいいのか。人々の動線を集約させることで活力を維持する、というのが今のまちづくりの前提となる考え方です。結果として、いわゆる“コンパクトシティー”の形になります。中核となる女川駅の前に広がる商業用地の提供は既に始まり、建築中の店舗もいくつかあります。6月に入ってからは、民間まちづくり会社「女川みらい創造」が管理、運営するテナント型商店街の整備が始まりました。

27店舗が入居するこのテナント型商店街が完成する12月には、まちの姿は大きく様変わりします。駅前の店舗は、最終的に50軒ほどになります。町役場などの公共施設も、駅の近くに建設を計画しています。ただ、都市部と違って華やかになるわけではありません。駅にしても中心となる商店街にしても、あくまでもまちをコンパクトに集約する上での機能の一つになるのです。

(2015年6月1日インタビュー取材)

今年3月1日には英ウィリアム王子が女川町内の仮設商店街を訪れた。須田町長は王子に付き添って町の復興状況を説明した。(写真=時事)

写真撮影(英王子訪問の写真除く)=菊地 正憲

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  • [2015.06.25]

ジャーナリスト。1965年北海道生まれ。『北海道新聞』の記者を経てフリーに。『AERA』『中央公論』『新潮45』『プレジデント』などの雑誌を中心に人物ルポ、社会派ルポなどを執筆。著書に『速記者たちの国会秘録』(新潮新書/2010年)ほか。

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