2020年の東京パラリンピックから正式競技になるパラバドミントン。住宅設備大手のLIXIL(リクシル)でトイレなどの防汚技術の研究に取り組む長島理さんは、車いすバドミントンの第一人者としてパラリンピックに向け新たな意欲を燃やす。
スーパーヒューマン——。2012年のロンドン五輪パラリンピックで、パラリンピックを独占中継した英国のテレビ局チャンネル4は、パラアスリートをそう表現した。この言葉を耳にしたとき、「なるほど!」と深く胸に染み入り、それまでそういう表現が思い付かなかった自分の語彙(ごい)力のなさを恥じた。
パラアスリートを取材していると、まさに「超人」としか思えない選手に出会う機会が多い。身体に障害を抱えながら立ちはだかる社会的な障害を次々に乗り越え、その過程で培った膨大なエネルギーで結果を引き寄せる。彼らは人間の未知なる能力、可能性を私たちに提示する、まさにスーパーヒューマンだ。
トイレ防汚技術研究でも「トップランナー」
車いすバドミントンの第一人者で、住宅総合メーカーのLIXIL(リクシル)に勤務する長島理(おさむ)もそんな一人。長島は車いすバドミントンで日本一に14回なっただけでなく、トイレの汚れを軽減する防汚技術「プロガード」に関わる特許を取得し、研究畑でもトップランナーとして走り続けている。
真っすぐこちらを見据える視線には、艱難(かんなん)辛苦を鉄の胃袋で飲み込んできた強さと、強靭(きょうじん)な精神から生まれた優しさ、そして研究者としての好奇心があふれていた。長島がゆったりと口を開く。
「一見、地味な作業の積み重ねが、いずれ結果に結び付くんですよ。それは研究もバドミントンも同じです」
苦労話から話が始まるのかと思いきや、いきなり人生訓を披露するところが、真理を追究し続ける長島らしい。
強烈な臨死体験と絶望感
千葉大学2年生の時だった。 埼玉の自宅に帰省し自家用車を運転中、土手に乗り上げた。車外に出て持ち上げて戻そうとすると車がバック、長島は下敷きになった。その瞬間、臨死体験をする。
「今でも鮮明に覚えています。巨大なチェーンソーのようなものが現れ、“戻るのか” と聞いてきた。もちろん、“戻ります” と答え、そんなやり取りを3回ぐらい繰り返していたら “大丈夫ですか!” という救急隊の声。それで目が覚めた」
だが、入院してからが地獄だった。手足を動かそうとしても下半身が麻痺(まひ)したまま。中学・高校時代に熱中したバドミントンで鍛えた負けじ魂で、痛みに耐えながら明日への希望をつなげてみるが結果は同じ。熱も一向に下がらなかった。希望の光は日がたつにつれ先細りしてくる。不安と絶望、そして時折襲ってくる激しい痛みと高熱。漆黒の恐怖が徐々に、長島の若い精神をむしばんでいく。
「絶望感でいっぱいだったので、将来のことを考えることすらやめていました。チェーンソーに “戻るのか” と問われた時に “戻りません” と言ったほうがどんなに楽だったろうと思ったことは、何度もありました」
だが、チェーンソーに「戻る」と即答したように、長島には強い生命力が宿っていた。事故から2カ月後、MRI画像を見る機会があり、脊髄が損傷していることを悟った。その瞬間全てを受け入れ、車いす生活が始まることを理解した。
「思考のパラダイムシフトですよね。これからの人生は車いすと共に生きようとすぐに前向きになれました」
就職活動の厚い壁を越えた先に
事故の1年後に大学に復学。以前に属していたバドミントンサークルにも戻った。車いすでバドミントンをやるのはかなり難儀したが、仲間たちが練習相手を務めてくれるのが何よりもうれしかった。応用化学を専攻していた長島は勉学にも励み、104単位で卒業できるところを160単位も取得。学年トップで卒業し、大学院に進む。
「たくさん単位をとっても授業料は変わりませんから(笑)。車いす生活になったせいか、できることは全部やりたいと思っていました」
2年間のマスターコースを修了後、大学に残り学者の道もあったが、民間企業への就職を選んだ。だが、車いすと知ると、先方はことごとく採用を断ってきた。その数50社余り。車いすというだけで排除される経験は復学後、大学3年の時にも経験していた。希望する研究室に次々と断られたのだ。最後に救いの手を差し伸べてくれたのが資源反応工学研究室の佐藤智司教授だった。
「多様性をうたいつつも、自分のところは無理という、総論賛成各論反対の考えですね。僕は諦めたくなかった。ここで諦めてしまったら、これまでの自分を否定してしまうことですから」
そう自分を鼓舞するも、社会のぶ厚い壁にいら立つ日もあった。「自分では前を向いていたつもりでしたけど、後輩にあの当時は “やさぐれていた”と言われたことがあります。『どうせ俺は障害者だから』『お前だって本当はそう思っているんだろう』とか言いたげな雰囲気だったそうです」
それでも就職活動は止めなかった。50社目がダメなら51社目、51社目に断られたら52社目に希望を賭け、エントリーシートを送り、電話で問い合わせ続けた。そしてついに、大手メーカーと外資系コンピューターメーカーから内定の知らせを受けた。
「INAX(現リクシル)を選んだのは勘です。採用担当人事と面接官の雰囲気から、健常者と身障者を区別する感じがしなかったし、何より僕の学生時代の研究を純粋に評価してくれたからです。勘は当たりましたね」




