終身在位による社会停滞に懸念

⑦天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

⑧始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話いたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。

今回の「お言葉」で最も驚いたのは、天皇が最期を迎えられ、皇太子が践祚(せんそ、皇嗣が皇位を継承すること)される前後に「社会が停滞し」てしまうような事態を懸念され、今後それを何とか回避することができないかと切実に考えていらっしゃることである。

念のため、昭和の終わりから平成の初めの状況を簡単に振り返っておこう。先帝陛下は昭和62年(1988)9月、肝臓がんの手術を受け、いったん回復されたが、翌63年の9月19日夜、大量吐血して明日をも知れぬ状況になられた。そして111日後の昭和64年(1989)1月7日朝、満87歳8カ月余りで崩御されると、その日のうちに皇太子殿下(55歳)が第125代の天皇に践祚された。それに伴って政令により新元号「平成」が発表され、翌8日に施行された。

このような新天皇の践祚や新元号の発表は国家的な慶事である。しかし皇室の方々は、深い悲しみをこらえながら、18日まで12日間、吹上御所において御身内の拝訣(はいけつ、お別れの儀)をされた。19日から37日間は宮殿の殯宮(ひんきゅう)での本通夜、さらに49日目の2月24日には、新宿御苑の葬場殿で営まれた喪儀(皇室行事の葬場殿の儀と国の儀式の大喪の礼)、および八王子の陵所で行われた陵所の議(納棺)に臨まれる殯(もがり)の日々であった。

さらに崩御から1年間は「諒闇」(りょうあん、喪に服すこと)に服された。ただ、皇室の服喪は、第一期の50日と第二期の50日まで厳重にされるが、第三期の残り265日間は「心喪」と称され、悲しみの心で平常の生活をして良いことになっている。

一般国民の多くは、昭和天皇の御闘病中から御快癒を祈念して「自粛」に努め、また諒闇中も社会に自粛ムードが続いた。陛下は御自身の終身在位により同様の事態が生ずることを懸念され、控えめに「生前退位」の道を開いてほしいというご意向を示されたのである。