「日華」のトラブルと「日台」の深化

「日華」のなかで摩擦が生じやすい最大の理由は、中華民国がかつて日本と戦争し、日本を打ち破った連合国の一つであり、戦勝国(中華民国)対敗戦国(日本)という構図になるからである。中華民国的な歴史観からすれば、日本は日清戦争で台湾を無理矢理不当に奪った、ということになり、台湾そのものが対日関係において倫理的な批判材料になる。ほかの歴史問題や領土問題でも、中華民国としての台湾は日本に対して教条的に厳しく振る舞うことになる。日本は外交関係のない台湾を普段は中華民国とは意識していないため、トラブルに出くわすと「どうして台湾が中国のようにこれほど強硬に出てくるのだろうか」という戸惑いが広がる原因にもなっている。

一方、日本と台湾との間には、日本統治50年を経た上で地下茎のように複雑に絡み合った人間同士の交流があって、これが「日台」の中心にある。元総統の李登輝のように日本語教育を受けた台湾人、作家・陳舜臣のように戦後も種々の理由から日本で暮らし続けた台湾人、そして映画『湾生回家』で話題になった台湾で生まれ育った日本人=湾生らが支えてきたものだ。この「日台」には近現代史における日本と中国の矛盾があまり投影されないので、領土・領海問題や歴史問題などはイシューになりにくい。

戦後、1952年に日本は中華民国と国交を結んで、日本にとっての「中国」は外交的には台湾=中華民国であった。「日台」の人的つながりは続いていたが、1972年に断交するまで「日華」が表のコインで、「日台」はコインの裏にすぎなかった。その間、蒋介石・蒋経国の国民党政権は「日台」をできるだけ表面に出さず、時によっては「日台」的なものを「皇民化」批判のもとに台湾から洗い落とそうとする政治的運動も行われていた。