交響曲のように全てが有機的に結びついた作品

台湾の先住民問題は、述べてきたように、清朝以来、日本、国民党などの「外来政権」の統治によって、時に隔離政策の下、時に同化政策の下、いずれもその決定権を、弱者の側である先住民が握ることはなかった。しかし、いま、総統の謝罪を受け、この映画に描かれるように、自らの未来を決める行動を先住民が取り始めていることは間違いない。それは国家や政党の利益よりも小さな集団や個人の利益を優先させるリベラルな民進党の政策にも合致しているだけではなく、現代社会そのものが歩んで行く方向でもある。

私は台湾映画好きが高じて本まで書いているが、いわゆる映画人や映画評論家ではない。しかしそれでも、自信を持って言えることがある。それは、この映画が、脚本、監督、プロデューサー、役者、裏方、音楽、技術など映画のもとになる種々のパーツが奇跡のように有機的に結びついた作品であるということだ。

映画は、いくら名監督が、膨大な予算をつぎ込んで、有名な役者を起用しても、無惨な駄作になることもある。その逆もまた然りで、何もないところから始まった小さな一つの作品が、永遠に人々の記憶に残る名作になったりする。名作のレシピがあるようでないところが映画の難しさであり、同時に、醍醐味(だいごみ)だと言えるだろう。

『太陽の子』にはそんな映画の醍醐味がしっかりと凝縮されており、見終わった後には、小さいけれど美しい交響曲を聴いた気分になる。村に生きる人々の願い、製作に関わった人たちの願い、そして、港口の自然と景色と歴史、そして、清らかに澄み切ったその空気までもが、アミ族の人々の「祖霊の加護」の下、全て見事に、この一作の中に編み込まれている。

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バナー写真=映画『太陽の子』(© 一期一會影像製作有限公司)