台湾での充実した日々に感謝

前出の岡井さんによれば、事故後に初めて訪れた中川さんの部屋は、資料や本などであふれ、壁いっぱいに掛けられた各地の台湾原住民の伝統衣装には、それぞれに細かな説明がびっしり記されたメモが付いていた。また、岡井さんによれば、中川さんは毎日のように深夜の2~3時までオフィスに残って残業していたという。

「台湾に居られる限られた間に一つでも多く仕事をしたかったのだと思う。そして台湾に来て本当に良かったと、よく言っていました」。日本のご家族によれば、痛む身体のためにリクライニングシートを購入するほど疲れていたという中川さんは、岡井さんとバスに乗るとき、いつもお年寄りが乗ってくるかもしれないことを気遣い、絶対に席に座らなかったそうだ。また、司馬遼太郎の『街道をゆく~台湾紀行』で知られる「蔡焜燦さんを忍ぶ会」では、会の1週間前に亡くなった中川さんからの供花が届き、蔡総統からの花の脇に飾られた。生前に注文していたのだろうが、気遣いの細やかな中川さんらしい。亡くなった後にあふれ出るエピソードのどこを切っても、人の考えや立場を思いやりながら仕事に全力を傾けた中川さんの人柄が、金太郎あめのように顔を出す。

私は書き手としては中川さんより随分と経験は浅いが、「伝える」側に身を置く人間として中川さんから大きなことを学んだ。いつか再会したときに、「こんな仕事をしたよ、中川さん。あのとき応援してくれてありがとう」と伝えられるようにやるべき仕事をしっかりやっていく。それが私のできる中川さんへの最大の供養だと思う。中川さん、どうぞ安らかに。いつかまた、一緒にどこかのY字路を散歩しましょう。合掌。

バナー写真=事故現場と献花、台湾台北、2017年9月19日(撮影:栖来ひかり)