漁の稼ぎを金の指輪で妻に渡した

もう一人紹介しておこう。故・仲松利雄(なかまつ・としお)さん。

利雄さんはアジア太平洋戦争末期に疎開で初めて台湾の地を踏み、台湾を引き払ったのは25歳の時だったというから、日本の台湾統治が終わって10年が過ぎた1955年である。戦後は南方澳や基隆でカツオ船や突き棒船に乗っている。

故・仲松利雄さん、2012年5月29日、沖縄県宮古島市伊良部の自宅(撮影:松田 良孝)

日本の植民地統治が終わると、台湾と沖縄の間には国境線が引かれるのだが、そのボーダーをまたいで人々が活発に往来したことはよく知られている。利雄さんの場合は、自分が台湾で稼ぎ、妻が佐良浜で留守を預かるという生活をしていた。利雄さんは台湾で船主から給料をもらうと、基隆で金の指輪に換え、それを妻に渡していたそうだ。妻はこの指輪を今度は宮古島で換金してくる。当時の沖縄は米軍統治下。B型軍票、いわゆる「B円」が通貨として流通していた時代のことである。

山口さんにも台湾で金を買った経験がある。

「(受け取った給料で)金を買って集めてきました。佐良浜へ密航する船が分かったら、頼んで(実家へ)持たせていた」

ただ、カジキ漁での稼ぎは自分の生活のためにも、取っておかなければならなかった。台湾から佐良浜へ向かう船の消息にしても、確実に耳に入るわけではない。山口さんの場合、台湾での稼ぎのほとんどが自分の生活費に消え、佐良浜に送「金」できた分は多くなかったようだ。

佐良浜漁港でキハダマグロの計量が行われていた、2013年9月13日,沖縄県宮古島市伊良部(撮影:松田 良孝)