台湾の戦後世代にも引き継がれた「義兄弟」の関係
久しぶりに「義兄弟」という言葉を聞いたのは15年夏、映画『台湾萬歳』の取材で訪れた台東縣成功鎮で出会った陳韋辰さんからだった。陳さんは私と同い年の1969年生まれ。自身を含め9人の義兄弟がいると聞いて、とても驚いた。てっきり、蕭さんのような上の世代のものだと思っていたからだ。今回、義兄弟について改めて話を聞かせてほしいと連絡したら、「珍しくもないし、書くほどのことじゃないでしょ」と笑われた。陳さんの妻は日本人。台東の天然伊勢エビの仲卸と、海ぶどうの養殖が本業の彼は、台湾と日本の懸け橋として生きることを人生の大前提にしている人で、映画の撮影前から完成後まで全力でサポートしてくれた。そして、彼の義兄弟たちも陰に陽に私たちを助けてくれたのだった。陳さんの友達は自分たちの友達だ、として。
彼らは一人を除いて小、中学校の同級生だ。9人もいれば、たいていそのうちの何人かは台北やその周辺で働いていそうだが、警察、消防、銀行、農協勤務、鉄工所経営など、皆地元に根を張って暮らしている。義兄弟結成のきっかけは1995年夏、友人の一人が海の事故で亡くなったことだった。それまでもよく集まって飲んだり食べたりしていたが、事故の後、「いいことも悪いことも互いに支え合おう」と結束した。血の杯を交わしたのかと思いきや、全員そろって地元の土地公廟に参拝したとのこと。そこで、「無理のない範囲で精いっぱいの義理を尽くし、葬式や結婚、困難なとき、助け合いの精神を発揮して友情を深める」と誓い合った。

