同世代の視点で知る70年代の台湾

私は日本統治時代に青少年期を過ごした台湾のお年寄りへの取材を通して台湾を知っていった。人生の先輩に教えを乞うかたちで、常に彼らの体験を通しての学びだった。取材の範囲が広がるにつれ同世代の台湾人と知り合い、彼らの視点を共有するようになった。例えば、1970年代のことを語ろうとするとき、お年寄りにとっては戒厳令が続く暗い時代であったが、私と同世代の台湾人にとっては、子ども時代の楽しい思い出がある時代となる。同い年の陳さんと子どもの頃の話をすると面白い。70年代、日本と台湾の経済状況には大きな違いがあった。高度経済成長を遂げ一億総中流意識が広がっていた日本に対し、台湾は国連脱退などで国際社会から孤立し、経済的には成長過程でもがいていた時代。陳さんが子どものころの台湾は、決してみんな豊かだとは言えなかった。

小学6年生ごろの陳さん(右)親友と一緒に(提供:陳韋辰)

工事現場からもらってきたセメントの袋でグローブを作り、竹をバットにして野球をした。負けたチームが「凍凍果」(緑豆を砂糖で煮て凍らせたもの。見た目は日本のあんず棒に似ている)をおごる。当時、1本1元(約3.6円)。野球をするゴムボールが1個3元だった。みんな、お小遣いがないので、建築現場へ行って、れんが運びを手伝った。大きなれんが5個で1元。よその畑のサツマイモやサトウキビ、マンゴーもおやつになった。漁港で船の進水式があると聞くと、友達と一緒に出掛け、上棟式のときと同じようにまかれるお金やお菓子に飛びついたそうだ。

それでも、当時好きだったアニメは一致した。「ガッチャマン」=「科學小飛俠」。小飛俠は直訳するとピーターパン。違和感を拭えないが、日本語だって忍者隊なのだから、まあ良しとしよう。好きだったキャラクターは「大鷲の健」=「鐵雄」。ええっ!てつお?なぜなのか。疑問は解けぬまま、スカイプで日本語と中国語、それぞれの言葉でガッチャマンのテーマ曲を合唱した。50歳近い、いい大人が。ちなみに陳さんは、当時の子どもたちは誰でも歌えたという「凍凍果」のCMソング、「♪好吃呀!好吃呀!凍凍果~」も聞かせてくれた。私たち世代の日本人にとっての「♪やめられない止まらない、かっぱえびせん~」と同じくらい懐かしいらしい。こんな昔話をしていると、あっという間に時間がたってしまう。