やはり自分は映画が好きだ!

台湾師範大学で1年半中国語を学び、2002年、エドワード・ヤン監督のアニメ制作会社に就職した。台湾での最初の仕事は、ヤン監督とジャッキー・チェン制作総指揮の作品『追風』だった。日本の会社と組むことも念頭に置いたアニメーション企画だったが、制作途中の04年ごろ、監督は会社を畳み、作品も日の目を見ることがなかった。さらに、07年にはヤン監督が亡くなってしまった。その後、西本はある香港の監督のつてで、03年に台湾に進出したばかりの日刊紙『蘋果日報(アップル・デイリー)』に転職する。

「周りに日本人がいない環境で中国語が飛躍的に伸びたのはこの時期です。広告営業チーム間の競争がすさまじい世界でした。どのチームも売上を取るのに必死で、お金のために働くエネルギーに満ちていました。私も毎朝の会議を録音して夫に聞いてもらい、自分の理解を確認しながら、必死に付いていきました」

その後は、日系企業の台湾現地法人を渡り歩くこととなった。生活は安定したが、いつの間にか歳月だけが過ぎていた。ある日、ふと映画の世界からすっかり遠ざかってしまっていることに気付いた。どうしても映画の現場に戻りたい。そうした思いはどんどん強くなっていった。

そんな折、能登半島を舞台とした『さいはてにて―やさしい香りと待ちながら―』の姜秀瓊(チアン・ショウチョン)監督の通訳の仕事が舞い込んだ。15年の第17回台北映画祭で、本作は国際ニュータレント・コンペティション部門の観客賞と、主演の永作博美が主演女優賞を受賞した。やはり自分は現場が好きだ。この仕事で映画の世界に戻った西本はつくづくそう思った。

西本有里氏提供

一方、『さいはてにて』の撮影参加を決めたのとほぼ同時期に、かつての会社の顧客だった霹靂国際マルチメディアから転職のオファーをもらっていた。霹靂は台湾の伝統人形劇の布袋劇をベースに、現代的で美形のキャラクター群が登場する霹靂布袋劇シリーズの映像で、ファンから絶大な支持を集めている映像制作会社である。

「せっかくフリーになったばかりで、自由に仕事がしたい。それで、最初は1週間に3日間だけのパートタイム勤務で3カ月契約を提案し、霹靂国際マルチメディアの子会社のパペットモーションで働き始めました。ところが、ライセンスや企画、海外版権販売の仕事も手伝ううちに、契約は3カ月から1年になり、やがて社長から直々に正社員のオファーがきました。完全に外堀を埋められてしまいました(笑)」