さまざまな文化の真ん中にいて、クッション役でありたい

その翌年、藤樫にもう一つの拠点が生まれた。花蓮県吉安郷に慶修院と呼ばれる古跡がある。1917年に建てられたこの建物は、当時は「吉野布教所」と呼ばれ、真言宗高山寺派の布教所として徳島県吉野川流域から移り住んだ人々の信仰の中心だった場所だ。戦後は台湾の内政部から台湾の三級古跡に指定されていた。知人の紹介でここを訪れた藤樫は、この古跡の管理を委託されている会社の執行長、陳義正と出会う。

慶修院の前でスタッフの方々と藤樫氏(楊均濰氏撮影)

日本統治時代の歴史をそれまでほとんど知らなかった藤樫は、かつて日本人が造ったこの建物を、戦後70年たっても台湾の人々が大事に守っていてくれたことに心を揺さぶられた。教科書で教わらなかった歴史がそこにはあった。説明を聞くうちに涙があふれた。

「自分に手伝えることがあったら、何でもします」

藤樫はその場で思わずそう言っていた。陳から3日後に「湾生」が訪れることを聞くと、即座に現場の通訳を買って出た。これをきっかけに、藤樫は台東から花蓮にも通い続けるようになり、やがて慶修院の企画・総務担当スタッフとして迎えられた。

慶修院では台湾の歴史を学びつつ、日本文化を台湾人に向けて発信する拠点としても活用し始めた。しかし、日本の年中行事を伝えるには、自分がまず基礎から日本文化を学び直す必要がある。和服の着付けやひな人形の飾り付けも覚えた。自分の「懸け橋」としての役割がもう一つ増えた。日本人が少ない花蓮、台東では、さまざまなプロジェクトに声が掛かった。活動を安定させるため、2014年には自身の会社も立ち上げた。

14年には、台湾文化部の「青年村落文化行動計画」の支援を受け、吉野郷の上騰高校で、台湾先住民族の舞踊と沖縄のエイサー太鼓を融合させる文化創造を試みた。これをきっかけに同校の壁画を描くプロジェクトも任され、今秋完成させた。壁画にはアミ族、日本人、客家人が描かれ、この土地の歴史を刻み、多様な文化が共存する世界を表現した。

また、上野科学博物館と国立台東史前博物館との日台共同プロジェクトである「3万年前の航海再現プロジェクト」にも藤樫は関わっている。昨年はアミ族の古老で、伝統的な舟を編む技術を継承するラワイ氏が製作した竹いかだを台東の大武から緑島に向けて実験航行させるのを手伝った。これは3万年前に台湾から沖縄へ黒潮に乗って移民した可能性を探るプロジェクトで、19年に最終的な実現を目指している。

「3万年前の航海再現プロジェクト」のスタッフと藤樫氏(邱瓊儀氏撮影)

藤樫はこのプロジェクトで出会ったラワイ氏を師と仰いでいる。自分で作ったかやぶき小屋に暮らし、祖先から伝承された文化を現代生活の中で活かし、困っている人がいたら全てを投げ打ってでも助けようとする姿に、人間の本当の優しさを感じている。学びたいけれど、学び切れない存在だという。では、藤樫自身はどんな人間でありたいのか。

藤樫氏と師と仰ぐワライ氏(邱瓊儀氏撮影)

「いつでも真ん中に立てる人。適材適所に人を導くクッション役でありたいと思います」

こう言って大きな瞳を輝かせると「自分の人生は常に学園祭の1週間前の実行委員のようだ」と笑った。この土地には、縁があって呼ばれて来たのだと自覚する「台湾東海岸の達人」は、今日もきっと地元の人々に寄り添いながら、美しい海岸線や花東縦谷の町や村を奔走しているに違いない。

バナー写真=杜宝漢氏撮影