デモ参加者がBEYONDの「海闊天空」を歌う

他にも若者がデモに参加する前に聞いた、とネットに書かれた曲として、人気ポップ・シンガー、ケイ・ツェー(謝安琪)「雞蛋與羔羊(卵と羊=壁にぶつかって割れる卵とおとなしい羊)」や実力派シンガー・ソングライター、シャーメイン・フォン(方皓玟)の「假使世界原來不像你預期(この世界が君の思い通りにいかなくとも)」などがあるという。

そして、やはり私にとって最もインパクトがあったのが、香港のバンド、BEYONDが1993年に発表した代表曲「海闊天空」を、デモの参加者たちが歌っている姿が報道された映像を見たときだ。ちなみに、7月から商業電台というラジオ局がBEYONDの曲「風雨中抱緊你」をジングルに使っている。

Beyond『樂與怒』(1993香港盤)「海闊天空」はこのアルバムに入っている(大澤真木子さん提供)
Beyond『樂與怒』(1993香港盤)「海闊天空」はこのアルバムに入っている(大澤真木子さん提供)

香港は今まで多くの素晴らしいエンターテインメントを生み出し、世界にファンを作った娯楽一大産地であり続けてきた。その中でも、香港ポップス史上最も成功し人気があったロック・バンドが、BEYONDだ。なんといっても、リーダーのウォン・ガークィ(黄家駒)の作る曲と強烈に引き付ける力のあるヴォーカル、そして親しみやすいかっこいいルックスで、1987年のアルバム・デビュー後瞬く間に人気が出た。

そのBEYONDは日本で悲劇に襲われた。91年、BEYONDは、日本のマネジメント会社と契約し日本に拠点を移し、テレビ番組のテーマソング(彼らの曲「THE WALL 〜長城〜」のイントロ部分は日本テレビ系の『進め!電波少年』で使われた)などに採用され、日本でも徐々にマーケットを広げつつあった。が、93年、テレビ番組収録時の事故で、6月30日、ガークィは亡くなった。

BEYOND『超越』1992日本デビューアルバム(筆者撮影)
BEYOND『超越』1992日本デビューアルバム(筆者撮影)

何故BEYONDは日本に行かなくてはならなかったのか。日本は彼らの素晴らしい音楽へのリスペクトが足りなかったのではないか。そんな議論が、香港では起こった。それは95年にカヴァー曲の放送を禁止する「原創歌運動」につながった。

香港に25年暮らし、音楽にも詳しい広東語通訳の大澤真木子さんは「海闊天空」を歌ったBEYONDを当時サポートしていたこともある。

「この曲に感動する人は30後半から50代なのかな?と思っていました。しかし、実際は違います。この歌はネットの中で、次々に新しい動画として生まれていました。以前の雨傘運動の痛みや慚愧の記憶もまとって、今この曲は一層悲しく響きます。

香港人の母語の広東語で歌われていること、中国返還前の香港の音楽が最も充実した時期の作品、今でも心にささるアレンジとヴォーカル、香港人の好きな潔さ、そして志半ばで残された家駒の夢と不朽の伝説などが、この歌が愛される理由として思うことです。
この曲は、苦い思い、無力感の中で、それでも守りたいかけがえのない香港を見事に体現する“香港人の歌”としていつまでも色あせないと思います。今回の運動では皆静かにひとりで聞きつつ、ネットで広がり、世界と呼応しつながる歌になっていっているようです」

「海闊天空」にはこんな歌詞がある。

今日ぼくは 寒夜に舞い散る雪を見ながら 冷えきった心を抱え 遠いところをさまよっている 心の中の理想を捨てたことはなかった いつかつまずき転ぶかもしれないけれど ずっと自由に心のままに 永遠に高らかに僕の歌を歌い 千里の道を翔け抜ける

(大澤真木子訳/抜粋、原文「今天我 寒夜裡看雪飄過 懷著冷卻了的心窩漂遠方  從沒有放棄過心中的理想也會怕有一天會跌倒 仍然自由自我 永遠高唱我歌走遍千里」)