国交断絶で厳しくなった台湾での生活

「なでしこ会」発足の数年前、台湾と日本をめぐる状況は、ふたたび大きな変化を迎えていた。1972年、日本政府が中国(中華人民共和国)との国交を結び、中国の主張する「一つの中国」を理解・尊重すると声明を出したことで、実質的に台湾(中華民国)と断交したのである。それまで、台湾では中華民国への帰化を条件に日本人妻の在留が認められていたことは(上)でも触れたが、国交断絶によって台湾が設ける国籍法の条件を満たせなくなった日本人妻たちは、帰化することができない。また当時の台湾政府は、外国人配偶者の永住権も認めていなかった。加えて、個人が労働ビザを取るのもかなりハードルの高い時代である。よって1972年以降に台湾へと渡った日本人妻たちは、最高3年ごとに在留資格を更新し、働くこともままならず、夫が亡くなればすぐさま在留資格を失い、それまで築いた全てを失って日本へ帰国を迫られるなど、非常に不安定な立場に甘んじなければならなかった。

「法的に妻が職を持てなければ、台湾人の夫が病気などで働けなくなった途端に、一家は路頭に迷わなければなりません」

1990年に日本語教師として台湾へ派遣され、職場で知り合った男性と結婚し、後に立法院における公聴会で発言するなど外国籍配偶者の運動に関わった永井江理子さんは、こう語る。

「今でこそ同性婚も認められ、台湾はアジアの中でも先進的な人権意識を持つと言われます。でも、当時の台北郊外では東南アジアの女性との結婚を斡旋する会社の看板に『処女保証、どんな苦労にも耐えます!』などと書いてあり、外国人の人権が重んじられているとはとても言えない時代でした。

また、その頃、居留ビザが取得できる業種は非常に少なく、日本のエンジニアが取引先の作業に立ち会うため新竹に出張してきたけれど、労働可能なビザではないからと捕まり、外国人収容所に入れられ強制送還されたケースもありましたね」

台湾政府が外国人移住者に対して厳しく接した裏には、国内人口の過密化や、敵対している中国からの移民を制限する事で国家の安全を維持する理由があったと思われる。しかし、それぞれの移住者や入国者個々の事情が顧みられることはなく、また逆に日本政府側から日本国籍者の人権を守るための働きかけがある訳でもなかった。

かつての厳しい時代を資料と共に説明する「居留問題を考える会」会長の大成権真弓氏(筆者撮影)
かつての厳しい時代を資料と共に説明する「居留問題を考える会」会長の大成権真弓氏(筆者撮影)