私の「取材」活動
香港滞在の途中まで、私は断続的に日記を付けていた。その日記を、最近書庫を整理していて発見したのである。それまではすっかり忘れていた。それを見ると、江南事件関係は割と小まめにメモしている。こうした活動も一種の「取材」だろう。この日記を頼りにこの時の「取材」活動の一端を記しておこう。
2月初め、総領事館の同僚の紹介で呉鴻裕さんという人と長電話。呉さんは複雑な経歴を持つ台湾出身者で、総領事館の「キャリア」組が「勉強会」と称して時々昼飯を食べつつ、いろいろ(まさにいろいろ)教えてもらう会合をしているという。私も仲間にしてもらおうと挨拶の電話を入れたのである。日本統治時代の生まれなので、くせの無い見事な日本語を話した。長電話で話題は江南事件にも及んだらしく、日記には呉さんが「(この事件は国民党)政権の命取りになるかもしれない」と言ったと記してある。確かにそうだったが、どのようにそうなったか、ならなかったのかは次回に考えてみよう。
2月下旬には香港に来たらぜひ会いたいと思っていた『九十年代』の李怡(1936−)編集長に会った。これは確か当時共同通信特派員で来ていた坂井臣之助さんの面会に合流させていただいたのだと記憶する。『九十年代』は二月号に前記のヘンリー・リュウ氏による「情報通報書翰」7通を掲載したばかりだった。日記には李氏が30数年来リュウを知っているという友人の話として、「ソ連が寄ってくればソ連に情報を売るという奴、ああいう殺され方をしても少しも不思議に思わない」との言を紹介したと記している。私の日記はまたヘンリー・リュウ氏の「情報通報書翰」発表直後、総領事館のベテラン調査員の「米国で情報活動する者は、米の機関がマークしているから、中国側も目を付ける、したがって、三重スパイは大いに有り得る」との言を記している。事情通の見方は一致したわけだ。
後述の台湾訪問時に訪ねた費希平(1917-2003年)氏は、「ヘンリー・リュウは『情報屋』(情報販子)だ、『蒋経国伝』も金のために書いたのだ』と言っていた。ヘンリー・リュウ氏が国民党関係の「センシティブ」な人物や事柄をあえて書くのは、何も何らかの立場に基づく批判の言論なのではなくて、一種のゆすりであり取引材料であったと言うのが、私の中で定着した江南イメージとなった。香港滞在中、私が中国理解の頼りにしていたベテランの中国通の外交官は、ヘンリー・リュウの人物については「まともなもんじゃ無い」「チンピラ」と切って捨てていた。しかし、そんな「チンピラ」の事件が大騒ぎになるのは、米国の華人社会への影響力をめぐる国民党と共産党の争いが背景にあるからだ、というのが当時の彼の見立てであった。今やもう「時効」であろうから、ついでに書いておくと前述の費希平氏は、決してあからさまに言わなかったが、「彼はまだ若いからね」といったような言葉の端々から江南事件に蒋孝武が絡んでいるのを疑わない様子であったのを印象深く覚えている。
王崧興先生、康寧祥氏と再会
3月下旬には王崧興先生と再会した。王先生は、初めての訪台でお世話になった方で、その時ふと漏らした「蒋介石は良いところに逃げてきた」との述懐は忘れられない。先生はその後、台湾の中央研究院から千葉大学に移っておられた。この時は香港中文大学で「両岸三地」(中国、台湾、香港)の社会学者・人類学者の中国家族に関する会議に出席するために来港したのであった。会議の目玉は、文革後に復活した中国社会学会の代表的学者の費孝通(1910−2005年)が中国代表団を率いて出席したことだった。私も会議を傍聴させていただいた。費孝通の話はどうもその話し方が中国のお偉いさん口調で、著書を読んだ時のイメージからかけ離れていて失望したが、会議後王先生の紹介で台湾の社会学者の蕭新煌(1948−)氏や文化人類学者の陳其南(1947−)氏と知り合えたのは、その後の台湾研究人生に益するものとなった。
同月末には康寧祥氏と再会した。前にも書いたように康氏は1983年選挙で落選してから米国に研修に行っていて帰国の途次東京を経て香港にやってきたのである。いわば米国帰りなので江南事件についても米政府と華人社会の動向の話が新鮮であった。米政府は国民党政権のやり方は“stupid”だとして強い不快の念を持っているが、しかしあまり強い打撃を与えると対中関係でバランスを失するというディレンマを抱えている、と見立てていた。華人社会に関しては、事件の推移につれて、政治的傾向ごとに対応が違うことを具体的に説明してくれた。事件発生直後はほとんどの華人団体が抗議の姿勢を示したが、関係者が逮捕されて事件が国民党に不利な展開を開始すると親国民党系が手を引き、ヘンリー・リュウの「情報通報書翰」が公表されると中立系が身を引き、事件を取り沙汰し続けるのは親北京系のみとなった。一方台湾人団体、特にFAPA(台湾人公共関係協会)などは、民主化推進に役立つと判断して前記武器援助法1982年条項の適用を巡る議会公聴会実現のためロビー活動を展開するようになった。
