失意のうちに去った呂と姜

2005年巨人入団の姜 建銘(ジャン・ジェンミン)も、一同エースとして背番号17番に期待されたが、僅か3年で戦力外となった。
2005年巨人入団の姜 建銘(ジャン・ジェンミン)も、エース級の17番を与えられ、期待が高かったが、わずか3年で戦力外となった。

では、陽岱鋼はこのまま、呂明賜の二の舞のようになってしまうのだろうか。

「台湾向けの放映権など、プレー以外のところで陽岱鋼の貢献も大きかったと思いますので、総合的な判断になるとは思います。しかし、このまま今シーズンも最後まで結果が出ないようだと、若手も出てきていますから、残留は厳しくなるでしょう」というのが、鷲田さんの見方だ。

一方、巨人にいた台湾出身の投手では、姜建銘という逸材も忘れられない。最速148キロの速球にスライダーやフォークなど多彩な変化球を持ち、コントロールも良かった。大リーグの誘いも受けたとされるが、巨人に05年に入団。06年のシーズン途中からローテンションの一角を担うようになり、無四球完封勝利を挙げるなど好成績を残した。

07年は開幕から先発陣の一人に入ったものの、フォームを崩して打ちこまれることが増えて、2軍と1軍を行ったり来たりするようになり、最終的に2勝4敗の不本意な結果に終わった。08年は出場機会もなく、戦力外通告を受けた。

鷲田さんは姜建銘についてこう振り返る。

「すごい投手が出てきた、これはエース級になれるかもと期待したのですが、けががあったりして、調子を崩して2軍に落ちたあと、戻ってこれなかった。海外で活躍できる選手に共通するのはメンタルの強さです。自分というものを強く持って、しっかりと努力を続けながら現地の野球にも適応できるタイプでないと、海外では長く活躍できない。特に先ほど述べたように巨人は調子が上がるまで、長くは待ってくれないチーム。活躍の条件はより厳しいのです」

姜建銘は台湾に戻って台湾プロ野球リーグに復帰するが、2年後に引退。いったん民間企業で働いたが、12年に野手として復帰し、ナショナルチーム代表になるなど復活を遂げている。呂明賜も帰国後はしばらく選手として活躍を続けた。

台湾には才能に恵まれた選手が今も多くいる。今後も台湾選手が巨人で活躍できるかは、陽岱鋼の復活が見られるかどうかが一つの試金石になるかもしれない。陽岱鋼の躍動する走攻守が再び東京ドームで見られることを期待したい。

バナー写真:2020年6月26日、ヤクルト戦で先制ソロホームランを放ち、コーチに迎えられる巨人・陽岱鋼=神宮球場(共同通信社)