母国語以外で書くことの効果

『蒲公英之絮』を執筆する10年ほど前、実は知人から中国語で文章を書いてみないかと仕事の打診をされたことがある。テーマは「日本人から見た台湾社会について」。ぼくはすぐに断った。

その理由は中国語の問題というよりは、考え方の問題だった。ぼくは台湾で発表するものに「日本人」を使いたくなかったし、その逆で、日本で発表するものには「台湾」を書きたくなかった。何だかそれに頼って、本来の作品で勝負してない感じがしたからだ。だれにも理解されない変なこだわりである。

ところが台北文学賞の応募ではそれをやめた。ぼくは日本人という立場をフルに活かして作品に特色を与えた。すると思わぬことが分かった。執筆が楽になるばかりか、読者の反応も信じられないほどよくなった。何故もっと早くそうしなかったのか。後悔を通り越して笑うしかなかった。

今では、この立場という武器を違和感なく使えるようになった。そしてそれが新たな効果を生み出すことも知った。

たとえば、日本で発表した『アリガト謝謝』。これは東日本大震災のとき、台湾が被災地に対して行った募金を題材にした小説だが、ぼくが書くことでより客観性を持たせることができた。この題材を台湾人作家が日本で発表しても、何となく違和感が残る。在台の日本人作家だから書けるテーマだ。

東日本大震災の被災地で講演する木下氏(筆者提供)
東日本大震災の被災地で講演する木下氏(筆者提供)

また、2020年台湾で発表した『記憶中的影子』もこうした要素がある。この作品は台湾が戒厳令下の1980年代はじめ、ひとりの外国人の目を通して当時の社会を描いた小説だ。近年、台湾は民主化が進んで省籍問題(台湾本省人と外省人の人口割合と両者の社会的な権力配分の逆転・不均衡から生じる諸矛盾のことで、戦後の台湾社会が抱える最も重要かつ基本的な問題のひとつ。省籍矛盾ともいう)が希薄化し、当時のことを思い出として話せるような土壌ができつつある。とはいえ、だれの立場から書くかはまだセンシティブなところがある。これに対して日本人という立場を押し出すことは、やはり客観性を持たせることができる。発売3カ月あまりだが、『記憶中的影子』の評判はいい。その理由のひとつが、この作者の立場にあるとぼくは思っている。

木下氏の著書。左から『蒲公英之絮』、『随筆台湾日子』、『アリガト謝謝』(筆者提供)
木下氏の著書。左から『蒲公英之絮』、『随筆台湾日子』、『アリガト謝謝』(筆者提供)

このほか、ぼくは自分の文章が小学校の国語の教科書に載っている関係でよく講演に行く。小学校の子供たちにとって、このイベントは外国人と交流する貴重な時間だ。

これらはどれもぼくが台湾に住む日本人だから可能なことばかりだ。