資料の中にあった台湾への手紙

資料の山の中に一つの封筒を見つけた。松丸さんは、1997年、台湾内政部地政司の「張元旭司長」に手紙を書いており、そのコピーが入っていた。地政司は領土行政の元締めの部門で、司長はそのトップにあたる。

「実は私こと、過去十年あまり、祖父・西澤吉次の足跡をめぐって資料をあつめてまいりました」と切り出し、張司長に二つの依頼を行なっている。それは、東沙諸島の現状を教えて欲しい、ということと、自分が私的に島を訪問することができるだろうか、ということで、こうも付け加えている。

「もちろん私も、南シナ海をめぐる現代の国際情勢を知らないわけではありません。右に記した私のお願いが相当にむずかしいことも理解しております」と書いており、千載一遇でもチャンスに懸けたい気持ちで手紙を書いたに違いない。中台関係が緊張していた1990年代、民間人の東沙諸島への訪問は事実上不可能で、それが可能になるのは2000年以降のことだ。

台湾内政部地政司の張元旭司長からの返事
台湾内政部地政司の張元旭司長からの返事

これに対して、内政部の用紙を使って、張元旭司長から正式な返事も寄せられており、その実物も封筒の中にあった。誠実に対応しようとしたのだろう。返事までに4カ月の時間を費やしていた。

「手紙を拝読し、関係部署に問い合わせた結果は以下の通りでした。東沙諸島は軍事管制区域ですので、国防安全に基づき、一般民衆に開放していません。その軍事的位置付けが変わらない限り、例外的に個人的な訪問を許可することはできません。ご尊父の西澤氏の足跡を訪ねたいという件は現状ではできません。後日改めて検討させてください」

東沙諸島の実態に迫るため、祖父が人生を賭けた現地への訪問の願いが絶たれた松丸さんの悔しさはいかばかりであっただろうか。

病で力尽きるまでに手書きで書き上げた原稿は第6章まで。洋裁の仕事でパソコンを習っていた雅恵さんが入力した。ちょうど、西澤吉次が台湾に到着する直前の、日本の台湾統治が始まるところで筆が途絶えている。西澤吉次の人生の飛躍がこれから始まるところだった。松丸さんの無念は想像に難くない。

未完成のまま、6章までで止まっている伝記の原稿
未完成のまま、6章までで止まっている伝記の原稿