年を重ねて「象徴天皇の在り方」に苦悩

①戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

陛下は昭和8年(1933)12月23日のお生まれだから、同20年(1945)8月の終戦(敗戦)当時、11歳半(学習院初等科6年生)であった。それから70年という節目の昨年に82歳となられた。「国の内外に平和を達成する」という祈念を込めた「平成」年号も、2年後に30年目を迎えることになる。

ちなみに「世」という漢字は「十を三つ合わせて三十を意味した。卅と同じ。転じて三十年、一代(中略)の意を表わす」(『角川新字源』)。平成元年(1989)1月に55歳で皇位を継承されてから30年という節には、いわゆる一世代経ることになる、という感慨を抱いていらっしゃるのであろう。

しかし、天皇陛下といえども、80歳代に入るころから体力などにいろいろな制約を感じるようになられた。そこで「ここ数年」、天皇としての歩みを振り返るとともに、これから先の「自分の在り方や務めにつき」思いを巡らされてきたという。

では「ここ数年」に何をしてこられたのだろうか。この点について、平成17年(2005)から24年(2012)まで宮内庁長官を務めた羽毛田信吾氏(現宮内庁参与、昭和館館長)の、インタビュー記事(『日本経済新聞』8月9日朝刊)が真相を明らかにしている。

羽毛田氏によれば、「実は2012年6月に長官を退任する際の記者会見で、(現行典範の)終身天皇制に関する私自身の問題意識として語った・・・(中略)・・・陛下のお悩みを代弁したつもりだった」と言う。その際の発言は以下の通りだ。

「時の経過とともにお年をめされること、また体力の面でこれまで通りのご活動がだんだん厳しくなることは避けられない。そうしたとき、たとえば85歳というような時に、いまの象徴天皇としての地位と活動というものをどう考えていくのか。これまでどおり一体不離ということで考えていくとすれば、深刻な問題が出てくるだろうと思う。(中略)これは今上陛下だけでなく、超高齢化社会のなかで天皇のご長寿というものが通常の状態になったときに、国民の尊崇、敬愛を集める象徴天皇のあり方を考える大きな問題になる・・・(中略)・・・やはり天皇陛下のご長寿とともに、地位をどう継承していくかということを考えなければならない」

これはかなり遠回しの言い方になっているが、今あらためて読むと、すでに4年前から超高齢化社会において「象徴天皇の地位をどう継承していくか」を、おそらく陛下のご意向に沿って宮内庁長官の立場で真剣に考えていたことが分かる。

しかも、新聞各紙の報ずるとおり、5年前からは「月1回、陛下、皇太子さま、秋篠宮さまが皇居・御所に集まり、長官が陪席する中で意見交換されている」(『産経新聞』8月10日朝刊)。ただ、その内容は、これまで外部に知らされなかったのである。