知りたい人々と伝えたい人々の間に立つ
東日本大震災が発生した時、木下は台湾にいた。2日後には台北文学賞の授賞式を控えていた。自身の文学賞受賞と震災の発生が重なり、情報整理が追いつかず、慌ただしい日々だったと振り返る。未曾有の大震災が故郷の日本で起きた。海外にいる自分はどう向き合うべきだろうか。映像から流れる惨状を見るにつけ苦しい思いが続いた。しかし2年半後の2013年秋、木下は『アリガト謝謝』の執筆に取りかかりはじめる。
「知人の1人が『東北の人たちが台湾のことを知りたがっている』と伝えてくれたのがきっかけでした。被災地では今も大変な暮らしが続いていて、震災について海外にいる自分が軽々しく語る資格などありません。随分とためらいました。しかし台湾に30年近く住んでいる自分が小説家としてできることは何か。熟慮の中で出した結論がこれでした。」
また、作品の取材を進めていくうちに、台湾の人々も自分たちの思いを日本に届けたがっていることに気付いた。東北の人たちの知りたいという気持ちと台湾の人たちの伝えたいという気持ちがつながっていた。ならば自分はその間に立てば良いのでないか。そう考えた。
「記録」ではなく「記憶」をつづることに心掛ける
「この作品はフィクションで、出版されるかどうかもわからないと台湾での取材対象者には前置きしたのですが、誰もが快く取材に応じてくれ、思いの限りを語ってくれたのです。この本を書き上げ、台湾の人々の思いを伝えることが、30年間お世話になった台湾への恩返しになるのではないかと考えました。」
震災から6年、構想から4年、台湾の人々と被災された人々をつなぐように『アリガト謝謝』は日本で出版された。いつか日本でも小説を出版したいと願っていた夢も実現した。
本書は、「日本を助けるために、どうしてこんなにも熱くなれるのか」をキーワードに、社会のさまざまな人々へ徹底取材を行って描かれている。ノンフィクション・ノベルに位置付けられることが多い自身の作品について、木下はこう語る。
「この小説は、『記録』ではなく『記憶』をつづることに心掛けました。70%が事実に基づく物語の骨子、30%の周辺部分はフィクションです。これらに自分の台湾での30年間の実体験を織り込みました。普段感じることが難しい台湾の人々の温かさを感じてもらえたらと思います。」
困った人に手を差し伸べようとする精神を、台湾の人々は生まれながらにして備わっていると木下は語る。そして、今回はその苦境にあった相手が「日本」だったという特殊な要素が加わったことで、大きな支援のうねりとなったのではないかと分析する。台湾は「親日」だからというひと言では片付けられない、世代や立場の異なる台湾の人々の、それぞれの日本に対する特別な思いをこの作品で表したという。
人事を尽くせば、道は開ける
この作品の構想、取材、執筆、出版に至るまでの4年間の道のりは、決して平たんではなかった。筆が全く進まなくなったことも、ほぼ決まりかけていた出版社から最終段階で断られたこともあった。それでも、木下は書き続け、出版社の門をたたき続けた。決して諦めることはなかった。その原動力を木下は「作品に対する根拠の無い自信」と表現する。
「この物語を知りたい人が必ずいる。世に問いたいという出版社が必ずある。執筆の途中でもそれらを疑うことはありませんでした。」
「人生に無駄なことは無い」を座右の銘とする遅咲きの小説家は、失敗や挫折もそう思えばこそ受入れられる。そして、マイナスと思える経験も将来の自分に必ずプラスの形で返ってくると語り、最後にこう結んだ。
「自分の人生に自分で制限を設けてはいけません。自分の人生に遠慮することほどもったいないことはない。ベストの準備をしてベストの状態で臨めば、道は必ず開けると信じています。」
撮影=熊谷 俊之



