日本人がなくしたものを李登輝から見いだす
フレディはアムネスティ・インターナショナルの台湾支部長を務めるなど、国際的な人権擁護活動にも積極的に関わっていることでも知られている。
「4歳からピアノを習いロックの世界に入る中で、欧米のミュージシャンが積極的に政治や社会へのメッセージを音楽にのせていることを知りました。私自身もメッセージを音楽に込め、実際の社会活動でも実践するようにしました。国民党による中華中心主義的な学校教育で培った見方から離れ、違う立場から物事を見たり接したりするようになり、徐々にそれはアムネスティ・インターナショナルでの活動にも発展していきました」
台湾主体の考えや世界的な人権擁護活動に関わる中、2004年、フレディは李登輝が自身の思想や政治観を伝える政治塾・李登輝学校に、第1期生として入校する。
「李登輝総統は既に、すでに政治の第一線からは退いていましたが、年齢からは到底想像できないほどの、知識欲の塊のでした。ある時は私が持っていたマンガに興味を示し、テクノロジー関連の話になるとITとIoTの違いやAIについて深く知ろうとする――いつも新しい情報や知識を得ようとしていました。面白いことに、その姿は私が知っている日本人とは違うものだったのです」
そして、日本人が李登輝に共鳴するのは、現代の彼らがなくしてしまったものを、知らないうちに追い求め、補っているのではないかと考えるようになった。
「日本人の李総統への礼の尽くし方や著書の引用を見るたびに、私は日本人が失ったものを補っているように感じるのです。戦後の日本人は、戦争の負い目もあって、内向きだったと思います。アジアで担うべきリーダーシップや負うべき責任について避けてきた。例えば地域の安定について、自分たちの発した言葉が、隣国からどのように取られてしまうのか、すごく気にしていた。いつも慎重で、保守的。しかし、日本は紛れもなくアジアの中で政治的にも社会的にも1、2を争う大国です。もっと地域の発展に貢献し、責任を負うべき存在です。そんな日本人が抑えていたものを、李総統の発言で補っていたのではないでしょうか」



