堂々と歌うのは自由のありがたさを知っているから
台北を拠点に活躍するシンガー・ソングライターの馬場克樹氏は言う。「1950年代後半から60年代にかけて日本の歌謡曲に台湾語の歌詞を付けて歌うことが流行したおかげで、現在50代、60代以上の方々に日本の音楽文化が間接的に伝わり、日本語世代の次の世代に親日の土壌が引き継がれたことは注目に値する」。
ぼくの周りの50代の友人にも歌好き、日本好きが多い。前述のカラオケ共有SNSを愛用していて、今度「男はつらいよ」を歌うから「私、生まれも育ちも葛飾柴又です・・・」というせりふをうまく言えるように特訓してほしいと頼まれたこともある。
1987年の戒厳令解除を機に「禁歌」は過去のものとなり、ちまたには日本直輸入のカセットやCDが並び、誰もが自分の好きな歌を堂々と聞いて歌える社会が到来した。それから30年。昭和の歌は今もなお、自由のありがたみを最もよく知る人々の心に流れ続けている。
実は台湾語・客家語・台湾先住民諸語の抑圧も、禁歌も、1895年に始まる日本統治期から既に進行していた出来事だ。この過酷な1世紀を日本語や「国語」を吸収しつつ存続してきた台湾語のタフさに敬意を表するとともに、消滅の危機にある言語を何らかの形で応援したい。ある一つの共同体の成熟度を量る尺度は、相異なるものをどれだけ多く包含しているかだと思っている。
バナー写真=公園でカラオケに興じる人たち(筆者提供)