沖縄の味を再現するまでの苦労
台湾では日本ブランドのラーメンが珍しくない。通堂はそこへ参入したのだ。金城代表に勝算を尋ねると、「他店がどうこうというのは、僕らはあまり見てないですね」。オープンセレモニーのあいさつでも、ライバルを圧倒するような雄々しい言葉はなく、「通堂の家族が台湾にもできました。すごくうれしい。今日の日を原点として、一杯のラーメンに思いを込めて、お客さんに伝わるように一生懸命頑張っていきます」と締めくくった。「初心忘るべからず」を地でいくような言葉だが、沖縄で出していた味を台湾でそのまま出すにはどうするかで頭を悩ませたからこそ出た言葉とみることもできる。
金城代表によると、台湾の輸入規制の影響で、沖縄の通堂で使っている食材をそのまま台湾で使うことはできず、しょうゆ一つを取っても輸入許可を得るのに、かなりの時間を要している。製麺に使う小麦粉は、沖縄製粉(那覇市)が通堂の台湾店用に約2カ月という短期間で仕上げた特注品。輸出は沖縄物産企業連合(那覇市)が取り扱っている。沖縄製粉の安慶名浩広域流通事業部長は「(出店に間に合って)ほっとしている。進出する店舗と商社、製粉会社が全て沖縄の企業という点は意義があるのではないか」と話した。
輸入規制の枠内で食材を調達したうえで調理方法を工夫した倉田代表は「沖縄で食べる味とほとんど同じ味を提供できると思う」と自信をみせる。
通堂の台湾進出を理解するうえで、沖縄の観光ブームは重要な鍵を握る。台湾からの観光客が評判を拡散させたおかげで知名度が上がり、通堂はこれを土台に台湾へステップアップしたのだから、台湾人の貢献度は高い。その後、台湾側から持ち上がった誘致話が沖縄県側の仲介で熟成され、沖縄のメーカーや商社のバックアップによって実際の店舗運営は成り立っている。台湾でラーメンが「日本食」として受け止められ、なじみの人気グルメとして定着していた素地(そじ)も忘れてはならないだろう。こうした背景があって、沖縄発のラーメンは台湾人の元へと「出前」をしてきたのである。
バナー写真=通堂に並ぶ人々(撮影:松田 良孝)
