フグ食禁止から解禁まで

下関市が「ふく」の本場として発展してきたのには、こんな経緯がある。

本州の最も西に位置する山口県は三方を海に囲まれている。古くは中国・朝鮮との交易で「西の京都」と呼ばれるほどに栄えて、平家の合戦や明治維新など数々の歴史的事件の舞台となった。

明治維新の功績により、日本の初代首相となった伊藤博文は山口県出身で、郷里に帰った際にとある料理屋を訪れた。その日は海が荒れてよい魚が手に入らず、困り果てた料理屋のおかみは手打ち覚悟で、豊臣秀吉の時代から禁制でありながら、山口では料理法が確立していた「ふく」を伊藤博文のお膳に上げた。

そのおいしさに驚いた伊藤博文は1888年にフグの禁制を解き、その料理屋に「ふく料理公許第一号」の免許を与える。その料理屋の名は「春帆楼(しゅんぱんろう)」、下関で最も格式の高い料亭である。数年後、春帆楼で伊藤博文と李鴻章によって調印されるのが「日清講和条約」(下関条約)だ。現在は改築されたが、戦前にあった元の館(やかた)の2階が調印会場だった。

1895年に調印された「日清講和条約」とは、清(しん)国が多額の賠償金を支払い、朝鮮国を朝貢国から解放した上、台湾、澎湖諸島、遼東半島を日本に割譲するのを取り決めることだった。清朝全権大使・李鴻章、日本の伊藤博文総理大臣、陸奥宗光外務大臣によって署名された調印文書の1部は日本に、そしてもう1部は蔣介石の手で台湾へと持ち込まれ、現在は台北の故宮博物院にある。台湾が清より日本に割譲され、台湾と日本が運命を共に歩むことになったスタート地点、それが、フグ料理の後任第1号になった春帆楼なのである。

春帆楼の手前にある「日清講和条約記念館」では、当時の貴重な資料の他、当時調印会場となった部屋が再現されている(参観無料、撮影:栖来ひかり)