暮らしと仕事の中で育まれた数々の作品

戦後になり、南投・草屯の「竹材工芸伝習所」は顔水龍(1903~97)によって54年に「南投県工芸研究班」として生まれ変わる。顔は東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業した芸術家で、台湾民族研究者および教育者として「台湾工芸の父」とも呼ばれている。その後いくつかの名称変更を経て、2010年には「国立台湾工芸研究発展中心」となり、台湾工芸の研究・技術保存と人材育成という役割を担い続けているが、ここで竹工芸を教えているのが、16年に台湾の人間国宝(無形文化財保持者)に認定された李栄烈だ。

1936年、草屯の郵便局員の家に生まれた李は、18歳で南投県工芸研究班に入学。台湾竹工芸の大家・黄塗山の一期生で、竹との付き合いは60年を越える。1960年には、来台した日本の人間国宝・飯塚小玕斎(いいづか・しょうかんさい)の指導も受け、78年に漆芸家・陳火慶について漆芸技法を習得。漆と竹とを組み合わせた「籃胎漆器」(らんたいしっき)という技法を取り入れた。顔とも深い親交を結び、顔とのコラボレーションである「木製餐桌椅組」も制作している。

林栄烈が顔水龍と一緒に制作した「木製餐桌椅組」(筆者撮影)
李栄烈が顔水龍と一緒に制作した「木製餐桌椅組」(筆者撮影)

代表作は籃胎漆器の技法で作った、テーブルと椅子、茶道具のセットだろう。この急須を一つとっても制作に1年を費やしたというが、いぶした竹編みの上に何層も漆を塗り重ねて作られた茶器や籠は深い色味を帯び、温かみと強靭(きょうじん)さを併せ持つ。

李栄烈が「籃胎漆器」の技法で制作したテーブルと椅子(左)、茶道具セット(右)(筆者撮影)
李栄烈が「籃胎漆器」の技法で制作したテーブルと椅子(左)、茶道具セット(右)(筆者撮影)

「暮らしが仕事、仕事が暮らし」という言葉を遺したのは河井だが、李の作品にもまた、素朴で明るい手を動かして作ることへの喜びが感じられる。そこで李が根っからの職人なのかといえば、そうでもない。それが証拠に李のスタジオには、一つとして同じ作品がない。

「一つ完成したら、また少し難しいことに挑戦するのを大事にしている」

注文を受けて作ることはあるのかと聞くと、

「少ない、こんなものを作りたいという気持ちに従って作っているから」と李は答えた。

李は「竹」そのものだ。南投草屯の地に広く深く根を張り、多様な技術を吸収し、経験をため込んで強度を備え、80歳になった今も地元で後進を育てることに力を注ぐ。李の作品を通して見えるのは、暮らしと仕事の結び付きの中に生まれる、しなやかな美しさである。

バナー写真=2016年、台湾の人間国宝に認定された李栄烈(筆者撮影)