「保存」と「利益」の両立が文化財保護のポイント
2019年3月、名物の桜が咲き始めた上野公園にある東京文化財研究所で国際シンポジウム「台湾における近代化遺産活用の最前線」が開催された。
硬いテーマにも関わらず、およそ100人が座れる会場は満員。4時間に及んだシンポジウムだったが、途中で席を離れる人はほとんどいなかった。
日本も、改正文化財保護法の4月からの施行で、文化財政策はこれまでの「保護」重視から「保存・活用」への転換にかじを切る。日本の明治維新以降の近代化に果たした産業遺産の役割をどう捉え、地域活性化や観光振興に生かすのか、自治体や企業の関心は高い。ユネスコの世界遺産に「明治日本の産業革命遺産」が指定されたこともあり、その活用が喫緊の課題となっているからである。このシンポジウムが開催された理由もそこにあるが、議論の中で浮かび上がったのは、先を行く台湾と日本との違いだった。
シンポの冒頭、齊藤孝正・東京文化財研究所長は、こう語った。
「近代文化遺産は規模が大きく、鉄やコンクリートという文化財とはあまりなじみのない材料が使われ、維持管理修理に多額の費用がかかる。安全性や機能性も考慮し、一体的にマネージメントする技術が大切だ。台湾には民と官が手を携えて保存と活用を両立させながらこの困難な課題に取り組んでいる先進事例があり、日本にとっても今後の取り組みの糸口になる」
都会のオアシス的に普段から利用する華山1914文創園区や松山文創園区(松山煙草工場)はどうしてあんなに格好いいのか、台湾の各地の製糖工場はなぜみんな観光地になっているのか、地方の鉄道跡がなぜすてきに観光用に整備されているのか、そんな疑問を私自身も深く感じていた。そして、シンポでは台湾から招かれた専門家が私の疑問に、それぞれきっちり答えてくれた。
講演に立った中原大学の黄俊銘副教授によれば、台湾では戦後、日本統治を引き継いだ国民党が産業資産などを接収し、政府や国営企業などが管理主体となった。その保存・活用に一歩を踏み出すきっかけになったのが1999年の台湾中部大地震。多くの文化財が破損したのをきっかけに、登録文化財制度が生まれ、各大学で専門コースが設けられて人材が育成された。文化資産保存法も逐次改正され、行政主導ではなく、企業や個人の再活用に専門家が助言を与えながら、近代化遺産のリノベーションを進めていく保存活用が広がったという。
黄副教授は「ポイントは文化性資産という概念の創出だ」と明らかにした。もし「文化財」に認定されると、保存に傾かざるを得ないが、より柔軟に活用できるグレーゾーンを設けることで、柔軟な対応が可能になったという。
一方、東京文化財研究所の簡佑丞・客員研究員は「近代化遺産活用」の10の事例を挙げた。その中には、いま台湾で最も人気のスポットとなっている台北の「松山煙草工場」や「建国ビール工場」、宜蘭の「羅東営林工場」、桃園の「大渓製茶工場」、苗栗の「旧山線鉄道」、雲林の「虎尾製糖工業」、台南の「十鼓製糖工場」、高雄の「高雄港ピア2」などが含まれていた。
私自身、ほとんど訪れたことはあるが、それぞれの開発のコンセプトは微妙に異なっており、文化財としての保存と商業的な利益の両立に苦心をしていることが簡研究員の発表からは伝わった。いまのトレンドは、民間の企業や所有者がリードする開発だ。かつて台湾では、近代化遺産の活用において、公的機関が中心になって行われた時期が2000年から2005年ごろ。結果は多くが「蚊子館(蚊しか来ないような場所)」になったとの反省から、民間主導にかじを切ったという。
私の目からみても、2007年ごろに訪れた苗栗の旧山線鉄道は、かつての縦貫鉄道の趣を強く残す魅力がありながら、娯楽という要素に乏しく、観光客の姿も週末でもまばらであった。しかし、簡氏によれば、その後、線路上を走れる多人数乗りの自転車が設置されてからは、多くの観光客でにぎわうようになったという。一部の鉄道ファンや地元自治体からは古い鉄道の景観を崩すものだと批判が出ているらしいが、商業的利益が確保できないと民間は関わりにくくなる。そのジレンマの中で、保存と活用の間でそれぞれ苦労があるようだ。


