人権はお金よりも大切
若者が次々に街に繰り出し、最後には立法会に突入した。若者は、香港政府がそれまで人権に無関心であったことにも腹を立てていた。6月30日、29歳の女性がビルから飛び降りて自殺した。亡くなる前には「七一(7月1日のデモ)には行けなかった。本当に心の底から絶望したから」などの言葉を遺していた。彼女はさらに、「私にとって、あらゆる出来事にもう明日はないと思ってしまう…。疲れた。明日のための努力。もう嫌だ」などとも書いていた。階段には、絶望の中で書かれた「反送中」などの文字もあったという。
それ以前にも、「逃亡犯条例」に対する不満が原因で、2人が自分自身の命を絶つ選択をしていた。30日の自殺は3人目だった。この自殺について、政府側は正面からの回答を避け続けた。親中派の新聞に至っては報道すらなかった。香港の若者は、ネット上で、政府に対して極めて激烈に不満を表明するコメントの書き込みを行った。
前述の15歳の文さんは「多くの若者は、中国が香港の自由を抑圧していると考えています」と説明した。文さんは、中国共産党に批判的な本を出版販売していた銅鑼湾書店の店長ら4人が失踪拘束された「銅鑼湾事件」が発生してから、香港の自由は大きな危機に直面していると思うようになったという。彼女は「それで、私も立ち上がらねばと、声を上げようと思ったのです」と語った。
デモ現場で黄さんは「私たちは、私たちの核心的価値を絶対に守らねばなりません。中国大陸の人は、自由・人権・法治とは何か分かっていないかもしれません。でも、私たちは絶対に、これらを守らねばならないのです」と語った。黄さんによれば、人が一人亡くなった場合でも、政府しっかりと対応しなければならない。今回は3人も亡くなったのに、政府はそれでも無視している。このことは、政府の人権軽視を示しているという。
過去の文化大革命の頃には、多くの中国人が広東を経由して香港に密航して仕事を探した。当時の彼らが求めたのは衣食の確保だった。だから、仕事があればどんなものでも構わないと願った。林さんによれば「古い世代の人は、金もうけが自分にとって最も大切で、全てだと思っています。でも若い世代は、そう思っていません。私たちにとって、もっと大切なこと(民主と自由)を守らねばなりません」と述べた。
同じくデモ現場にいた23歳の劉さんの家庭は典型的なケースだ。劉さんの両親は文革時に広東から逃げてきた。父親は、海を何時間も泳いで香港にたどり着いた。劉さんの両親は飲食店で働いた。お金をためて不動産を買った後に、香港が中国に返還された。すると両親は、それまでとはうって変わって親中派になった。祖国が立ち上がったということで、言葉にならないほどの誇らしさを覚えたからだという。
しかし、香港で生まれ育った劉さんは、民主と自由を信奉している。両親の中国観とは大きく異なり、家で殴り合いのけんかまでしてしまった。劉さんは父親に「どうして大陸から逃げてきたのかも忘れてしまったのか」と怒鳴ったこともあるという。今も、父と息子の会話はない。デモの現場では、同様の証言をした学生が多かった。父や母のどちらかが中国から来た場合、家庭内で親中派の父または母とは雑談もしなくなるという。
