そろりそろりと「情況に入る」

台湾政治研究をするようになってから知った中国語の言い方に「情況に入る(進入狀況)」というのがある。政治家があるポストについて間もない時期、まだそのポストに関わる情況やコンテキストが分かっていない様子を「まだ情況に入っていない」というふうに否定形で使われる。台湾政治研究のほうになかなか転換できなかったのは、上記のような浮世がらみの事情にもよるが、同時にそうおいそれとは現代台湾の「情況に入れなかった」という側面も大きい。

ただ、「助走」はしていたのである。前にも触れたが、香港の評論家李怡さんがやっていた『九十年代』の台湾報道や時事評論には必ず目を通していた。これは助手になってから前記の矢吹先生がやっていた月一回の中国関係月刊誌読み合わせ会に顔を出させていただくようになっていたからである。私は『九十年代』など香港月刊誌の台湾報道を紹介するのが分担だった。80年台北滞在中に為替を振り込んで康寧祥氏がやっていた『八十年代』系統の雑誌を日本で購読するようになったのも、この研究会の影響だろう。

では何時からどのように「情況に入れる」ようになったのか。私の台湾政治研究は、改めて知った台湾現代史の「真空」の力に抗いつつも結局引き込まれていったという経過をたどったのであり、80年代前半はまだ植民地期の歴史研究をしているのだという意識のほうが強かった。従って、台湾政治研究はかく取り組むべしという研究戦略も方法・手法意識も事前にはなかった。有り体に言えば行き当たりばったりでやって事実としてその方向に行ったのだ。

その過程を今の時点で敢えて整理すると、①「人に会う」、②「選挙を見に行く」、③台湾政治の「ニュースを読む」、この3点セットが次第にできるようになって、「情況に入れる」ようになったと思う。具体的経緯を簡略に言えば、おそらく82年夏が台湾政治渦中の「人に会う」活動の事始め、83年12月「増加定員立法委員選挙」時の訪台が「選挙を見に行く」の事始めであり、そして85年の香港総領事館専門調査員の業務で毎日香港・台湾の新聞に目を通すことによって、台湾政治の「ニュースが読める」ようになったのだった。