戦後、台湾のラグビー普及に尽力
大学を卒業した柯子彰は、満州鉄道に勤務し、吉林や大連、瀋陽、満州など各地の鉄道局に合計8つのラグビーチームを立ち上げた。交流戦を行い、ラグビーの普及に注力した。この時期に、同じ職場の日本人の女性と結婚している。
終戦を迎え、1946年に台湾に戻った後は台湾鉄路局に入り、満州にいたときと同じ手法で、台湾各地の鉄路局の職員を集め、ラグビー部を作ることに精を出した。
当時、台湾のラグビー部は2つだけで、台北第一中学と淡江中学(1915年ラグビー部成立)だった。ここに鉄路局のラグビー部を加え、彼は中華民國橄欖球協會(中華民国ラグビーフットボール協会)を結成。日本、韓国、タイのラグビーチームとの交流戦を積極的に行い、台湾におけるラグビーの地位向上に務めた。
「あなたのお父さんはね、ラグビーをやりたかったみたいだけど、体が小さいから諦めたんだよ。」
父がラグビーに興味を持っていたことを教えてくれたのは、父の台湾大学時代の友人・張昭雄さん。松岡正男が最初にラグビーを教えた建国中学でラグビーチームを創設した人物だ。以来、建国中学ラグビー部の後輩から「建中橄欖球運動的太祖(建中ラグビーの始祖)」と称され、ラグビー部OBの永久会長になっている。
残念ながら張さんは2年前に他界されたが、生前、私に対して、流ちょうな日本語で「ラグビーをやっていた僕は乱暴者でね、せっかちですわ。お父さんはのんびりしていたね」「日本の人たちとラグビーをするのが楽しみでした」などとうれしそうにラグビーの話をしてくださった。

