48歳、けんか以外で初めて泣く

鷹峰さんが台湾でラーメン屋を始めたきっかけは東日本大震災だ。高田馬場の店は震災の影響を受け、繁盛していた客の入りが嘘のようにピタリと止まってしまった。誰もこない店で過ごす日々。心もからだも疲れ果てた。

「毎日刑務所にいるようだった」

思い切って、両親の故郷である台湾を訪れた。頭は仕事から離れない。台北から台中まで、ラーメンを食べ続けた。70店舗を食べ尽くしただろう。「納得できた味は3店舗しかなかった」と振り返る。

思い立ったら即行動に移すタイプだ。すぐに家族には「俺、台湾行く」と伝え、旅立った。台湾に来てからの8年間は、平坦な道ばかりではない。台湾人の息子として何度も親戚に会うなどの理由で来ていた台湾も、実際に働くことで多くのことが見えてきた。

「どんなものにも、『日本人価格』があるのです」

例えば、家賃。日本人だとわかると、家賃が5万台湾ドルも釣り上げられた。

居抜きで買ったはずの設備を回収され、お金を渡した相手に電話をかけても、応答する者がおらず、逃げられた、という経験もした。

「48歳になって、けんか以外のことで初めて泣きました」

鷹流ラーメン7店舗の名刺(筆者撮影)
鷹流ラーメン7店舗の名刺(筆者撮影)

両親が台湾人で、自分も台湾人なのに、なぜひどい目に遭わなければならないのか。そんな思いがぐるぐると脳裏を駆け巡った。胃からの出血や、血便に見舞われるほど、神経をすり減らした。3年目からようやく台湾人的な考え方に自分の頭を切り替えて、トラブルも乗り切れるようになった。

鷹峰さんの分析によれば、日本人は村社会のため、2番手に甘んじようとする人が多く、自分で店を開こうとする人は少ない。一方、台湾人は誰もが「老闆(オーナー)」になりたいと強く願い、お金儲けを第一と考える者が多い。さらに、台湾人は上に立ち、管理するものがいればきちんとその指示に従うが、管理者がいなくなると、ルールを守らなくなる傾向がある。