「選挙共同体」

1983年当時「党外」の「台湾前途の住民自決」の主張には2つの部分があった。一つは、(A)台湾は命運の危機に際しているが、また再び外部のパワー(当時の言い方は「国際強権」)により再度決定されてしまうことを拒否する、ということであった。これには台湾の国家が国際承認されていない状況に対する抗議も含意されていた。もう一つは(B)台湾の命運の選択に関して、当時の政治体制は住民の意思を反映できるものではない、故に民主化を要求する、というものであった。「自決」と「民主」が結合して政治過程に投入されたのである。前回述べたように「台湾前途の住民自決」の主張が論理的に「台湾住民」を主権的団体として想定していることを踏まえれば、これは台湾の政治体制を「人民主権」を体現できるものに改造したい、それによって(A)の状況に対処すべし、との要求であったと言えるだろう。

このような主張のその後は、周知にように(B)の政治体制民主化の部分は実現したのである。そして、実現した台湾の民主体制の存在を代表し象徴するのが、4年に一度の総統選挙であった。1996年に初回が実現した台湾総統選挙の挙行によって、台湾には、行政首長については、下は里・村の長、郷・鎮、県・市長から上は総統まで、議会については、下は郷民代表、鎮民代表から立法院議員まで、すべて自由な選挙によって選出する政治制度ができあがった。このことを私は2008年の著作(『台湾の政治』東大出版会)で次のように評した。

「中国大陸の東南、日本の南隣の海上に、民主体制を持った島嶼国家が出現したのである。台湾の有権者は、例外なくこの郷・鎮から国政レベルまでの公職選挙に参加した経験を持つ、いわば『選挙共同体』のメンバーとなったのである」(219頁)

そう、「選挙共同体」である。周婉窈の「台湾の定義はまだできていない」の「まだできていない」は、内外の困難に打ち勝てるだけの自己定義をまだなし得ていない、そしてそれを支えるだけの「何か」をまだ獲得できていない、ということであろう。そして、その「何か」はまた単に政治的な意味だけではなく多分に人文的な価値の形成をも含意しているものと理解できる。

ただ、政治的側面に限っていえば、2008年の私の目には、政治体制の民主化によって台湾住民は「選挙共同体」として自己定義したものと映ったのである。そして、言うまでもなく4年に一度の総統選挙はこの「選挙共同体」を代表するイベントであった。

今日までの四半世紀の間に台湾では7回の総統選が挙行されたわけだが、それは内外の諸要因により揺さぶり続けられた波瀾万丈の過程であった。初回からして、中国軍のミサイルが台湾海峡に撃ち込まれ台湾海峡で台湾侵攻作戦を模した大規模軍事演習が行われ、米軍が空母戦闘部隊を台湾海峡に接近させるという対抗措置をとる中でようやく平穏に挙行できたのであった。まさに「ミサイル」vs.「投票箱」の絵に描いたような対抗が現出したのであった。中国の「サーベルをかざす脅かし」と台湾の「民主」の対抗という、今日まで続く図式の原点であった。

その後2000年には民進党陳水扁政権が実現したが、その再選キャンペーンとしての「公民投票」は北京のみならずワシントンの不興を買い、以後2004年、2008年、2012年と民進党の総統候補は勝敗にかかわらず、北京のみならずワシントンの「好ましからざる人物」となった。

その後2016年に民進党は蔡英文を立てて政権を奪い返したが、2018年の統一地方選では、民主化・台湾化の進んだこの40年ほどの変化に違和感を持つ層が韓国瑜というトリックスターを得て台湾政治史では前例の無い右派ポピュリズムが盛り上がった。結果的に2020年1月選挙においては蔡英文が大勝したものの、蔡英文再選が一時危ぶまれるまでに追い込まれたたことはまだ記憶に新しい。