「バラエティの愛紗」から「ヒップホップシンガー」へ劇的なイメージチェンジ
その後も動物番組の司会者をはじめ、バラエティの仕事は切れ目なく続いた。今ではネイティブとほとんど区別がつかないほど流ちょうな台湾華語を操る愛紗だが、その頃は、言葉で苦労した。番組の制作サイドからは、「これ以上華語が上手くなったらダメだ、キャラクター的に面白くなくなる」と言われ続け、上達しようにもそれが許されない状況だった。その一方、人気テレビドラマ『流星雨』で俳優デビューも果たしたものの、撮影現場では華語のせりふがネックとなってNGを繰り返した。言葉の壁が立ちはだかっていた。
いつしか台湾に来てから6年がたっていた。ある日、友人のアーティストのクリスマス・ライブで、自ら頼み込んで舞台に上がりラップを歌った。ネット上にアップされたその映像が、たまたま音楽プロデューサーの畢國勇の目に止まった。畢國勇が阿弟仔と共にプロデュースした「大嘴巴(DA Mouth)」は後に、台湾を代表するヒップホップ・ユニットになるのだが、日本人の女性ラッパーを面白いと直感した畢が、大嘴巴のボーカルとして愛紗に白羽の矢を立てたのだ。
「ついに来た!と興奮しました。実はダンスを極めるため、日本に帰ろうかニューヨークに渡ろうかと考え始めていた時期だったのです。本業の歌とダンスでのオファーでしたから、二つ返事で引き受けました。ただ“バラエティの愛紗”のイメージの払しょくを求められて、大嘴巴のデビューまで、それから2年ほどかかりました」
デビューまでの準備の間、バラエティの仕事は全て断った。2007年11月に満を侍してアルバム『大嘴巴』をリリースすると、お洒落なヒップホップのシンガー愛紗の誕生に世間は仰天した。「天然」が売りだったバラエティの愛紗の姿はもはやなかった。元々実力派ぞろいの上、愛紗の劇的なイメージチェンジも功を奏して、大嘴巴は瞬く間にスターダムにのし上がた。翌年の台湾の「金曲奨」では最優秀歌唱グループ賞を受賞した。
受賞の瞬間、愛紗は手の震えが止まらなくなり、頭が真っ白になった。予想外の受賞で、スピーチ原稿さえ用意していなかった。それでも愛紗の口からとっさに出てきたのは、外国人である自分にチャンスを与えてくれたプロデューサー、華語がまったく話せなかった8年前から現在に至るまで台湾の芸能界でお世話になった人々への感謝の言葉だった。
2012年には、東京の国立代々木競技場第一体育館で開催された「a-nation Asia Progress F」に大嘴巴も出演することとなった。この時に初めて沖縄から両親と弟を招待した。台湾で積み重ねてきたことを家族にようやく胸を張って披露することができた。ステージ終了後には感極まって号泣した。そんな自分をそっとしておいてくれたメンバーの心遣いがただうれしかった。
大嘴巴での活動はデビューから9年後の2016年に終止符を打った。しかし、このユニットが自分を成長させてくれたと愛紗は振り返る。
「メンバーとは徹底的に議論し、自分の本来の武器である歌とダンスの表現の研さんを積む日々でした。華語の発音も表現力もネイティブに近づくことを求められ、体調管理の大切さも含めて、本当のエンターテイナーになれたと感じました」
多忙な日々だったが、好きなことは苦にはならなかった。体調を崩して高熱を発しても、移動の合間に点滴を打ちながらステージに立ち続けた。プロとしての決意と矜持(きょうじ)からだった。

