台湾バナナのシェアはわずか0.2%に

昭和を代表する人気作家の一人である獅子文六は、1959年2月から、読売新聞で新聞小説『バナナ』の連載を始めるにあたってこんなことを言っている。「バナナは日本でならない果物なのに、日本人はバナナ好きで、バナナなしに生きられない様子である」。

バナナといえばまだ台湾バナナだったころの小説である。ちなみに、獅子文六の視界からは漏れ落ちているが、実は、戦前から小笠原と沖縄は国内のバナナ産地として認識されていた。ただ、やはり、台湾バナナの方が味がいいという声がよく聞かれたようだ。

主人公は台湾生まれの在日華僑・呉天童で、息子の龍馬がバナナ輸入業に手を出したことをきっかけにてんやわんやの大騒ぎになっていく。主人公が台湾華僑であることや、龍馬がバナナ貿易でひともうけしようとたくらんだことには、戦後日本の社会情勢が関わっている。

戦後初めてのバナナ輸入は、在日米軍へ納入するために台湾華僑を介して行われたと言われている。在日米軍への納入を皮切りに、1950年には台湾バナナの輸入が正式に再開された。63年に輸入自由化されるまでの13年間、「バナナなしには生きられない」日本人にとってはつらいことに、台湾バナナは庶民の手が届かない高級品として君臨した。

バナナといえばフィリピン産の現在、輸入バナナのうち、台湾産が占める割合はわずか0.2%である。台湾バナナはまた少し高級なフルーツになった。スーパーでたまに見掛けると、値段を見て買うのをちゅうちょすることもあったが、今度見掛けたら日本人をバナナ狂たらしめた台湾バナナで「皮ジャム」のリベンジを果たしたい。

バナー写真=筆者自ら作ってみたバナナの「皮ジャム」(筆者撮影)