人々に愛される『鉄道唱歌』

『鉄道唱歌』について簡単に述べておきたい。世代差こそあるものの、日本人が親しんでいる名曲で、日本各地の様子を短い歌詞で表現し、唄いやすい旋律でまとめられている。 

『鉄道唱歌』の作詞は大和田建樹(おおわだたけき)。旋律は複数存在したが、定着しているものは大和田から依頼を受けた多梅稚(おおのうめわか)のものである。正式な名は『地理教育鉄道唱歌』。第一集となる「東海道編」が発表されたのは1900年5月10日だった。

近代国家の歩みを始めた日本は「殖産興業」の政策の下、鉄道網の整備を急いだ。鉄道は最重要交通手段として君臨し、「伸び行く日本」を象徴する存在だった。これと国民教育が連動したことで、『鉄道唱歌』は誕生した。

余談ながら、この時期、鉄道を題材とした歌曲はいくつも作られている。国有鉄道の幹線のみならず、郊外電車や市内電車(路面電車)に絡んだ唱歌もあり、1906年には『満韓鉄道唱歌』も作られている。

台湾周遊唱歌~台湾の地理を唄う

(基隆)

基隆港(きいるんこう)の朝ぼらけ  のぼる朝日の照りそいて
輝きわたるその眺め  フォルモサの名も徒(ただ)ならず

→台湾北部の港湾都市。日本本土への門戸。基隆は終戦まで「きいるん」と読んだ。

基隆(筆者所蔵写真絵葉書より)
基隆(筆者所蔵写真絵葉書より)

(北投)

硫黄(いおう)を出(い)だす北投(ほくとう)は  音に聞(きこ)ゆる温泉場
湯浴(ゆあ)みする人遊ぶ人  常に絶えずと聞くぞかし

→台北郊外の北投は硫黄の産地。領台後、温泉郷として発展した。通称「台湾の箱根」。

(花蓮港)

黒潮に沿ひ進みつつ  次に立ち寄る花蓮港(かれんこう)
移民の計画歩を進め  開拓事業起こりたり

→東部開発の中枢は花蓮港(現・花蓮)。官営移民村は吉野、豊田、林田の三村。

(澎湖)

これより海路五十二浬  澎湖島(ぼうことう)なる媽宮港(まきゅうこう)
港の内は水深く  大艦巨舶泊(とど)むべし

→台湾海峡に浮かぶ島々。媽宮港は現在の馬公。台湾での読みは「ほうこ」でなく「ぼうこ」。

鵝鑾鼻

バシー海峡隔てたる  ルソンと遥か相向かう
最南端の鵞鑾鼻(がらんび)に  大燈台を設けたり

→台湾最南端の地。バシー海峡を挟んでフィリピンに対峙する。白亜の灯台が知られた。