時代の風に乗って台湾へ

渡台直後の佐野庄太郎。19歳の大志が透けて見える.
渡台直後の佐野庄太郎。19歳の大志が透けて見える

佐野庄太郎は、静岡県富士宮市の商家の五男坊として1878(明治11)年に生まれた。身分制度も廃止された明治という新しい時代の高揚感に後押しされたのか、19歳になった1897(明治30)年、新天地の台湾へ単身渡った。コツコツと貯めた3円と祖母から餞別(せんべつ)にもらった5円を懐に入れて…。(注 : 1円は現在の貨幣価値に換算すると約2万円)

長崎経由で基隆に到着した彼は、台北で運良く雑貨店を営む商人と知り合いその店で約10年奉公。30歳の時に独立して「佐野商店」を立ち上げた後、1908(明治41)年、現在の228和平公園に近い表町1丁目48番地に赤レンガ3階建ての旅館「台北館」を開業した。この頃の台北市はインフラ整備も一段落してすっかり近代都市に生まれ変わり、内地から多くの商人や視察団が往来し商売の好機だった。台湾観光の黎明(れいめい)期にオープンした「台北館」は、その後着実に収益を上げていった。

昭和天皇が摂政宮だった1923(大正12)年に行われた台湾行啓は、各地の景勝地と産業施設の紹介につながり、台湾の魅力に注目が集まるようになった。1927(昭和2)年には台湾日日新報社が、北は基隆港から南はガランピ灯台まで“台湾八景十二勝”を選び旅行ブームが到来。十二の景勝地のひとつに北投温泉も選ばれていた。

もともとドイツ人によって発見された北投温泉は豊かな湯量を誇るラジウム鉱泉で、日露戦争の傷病兵の療養に大いに利用された。1907(明治40)年頃に露天風呂『滝之湯』が開業、1913(大正2)年には公共浴場も完成。ビジネスや観光で来台する内地人の間で評判が高まり、官民視察団の旅程にも北投温泉が組み込まれるようになった。

「台北館」の前に集まった従業員と庄太郎の家族。
「台北館」の前に集まった従業員と庄太郎の家族